ヒメルゲビルデ作品展 
-空の裏側-
2023.2.3[金]- 3.14[火]

★SONJA  KANNO  (ソーニャ・カンノ)
画家、陶芸家。ドイツ・デュースブルク出身。
2007 Hanze University Groningen, Minerva Art Academy, Media Art (BFA) 卒 業、2010 Hanze University Groningen, Frank Mohr Institute, Interactive Media and Environments (MFA, cum laude)
【近年の個展】
2023 Namiki Gallery (東京)
2020 Minnano Gallery (東京)

★IKUE KONISHI(小西郁江)
アーティスト。島根県出身。
Art Students League of New York滞在、島根大学教育学部教育学研究科美術修了、2013~2016 Hanze University Groningen, Frank Mohr Institute, Painting (MFA) 在籍
【近年の個展】
2022 『Cage and Lake』JINEN GALLERY(東京)
2021 『月を数える』365cafe art gallery(東京)
2020 JINEN GALLERY(東京)
2019 『架空の風と赤い木』JINEN GALLERY(東京)
2018 『よむ みつめる よむ』いまみや工房 (島根)

Himmellöcher(空からの穴)
SONJA KANNO

A regional city of Cage and Lake
IKUE KONISHI

【見どころ】
ある日出会ったふたりは意気投合し、ひとつのユニットを結成します。その名は「ヒメルゲビルデ」。発生し構築されてゆく空やそこから生まれるもの、というような意味のドイツ語を日本語で読んだものといいます。雲や森が育ってゆくイメージを作品に重ねているのだとも。以前から日本の森林浴に興味があったというソーニャ・カンノさんと、自然豊かな島根で生まれ育った小西郁江さん。最終形は違っていても、その根底には自然や宇宙に対する同じような関わり方や考え方が見て取れるのではないでしょうか。モノトーンの味わいが絶妙なカンノさんの作品と優しい色彩に癒される小西さんの作品。お二人の共演をぜひお愉しみください。

インタビュアー 株式会社サンポスト 前田 敏之)

■灰色の工業都市と自然の存在感が大きな土地

――最近よく思うのが、芸術活動は生き方であり、好むと好まざるとにかかわらず、生まれ育った場所の影響を多かれ少なかれ受けているということなんです。そこでやはり生まれた場所から伺います。カンノさんは、ドイツ生まれとのことですが。
〈カンノ〉 ドイツのデュースブルクという街で生まれました。デュースブルクは80年代には多くの工場、炭鉱、内陸港のあるライン川のほとりの工業都市でした。
――デュッセルドルフに近いところですね。
〈カンノ〉 はい。高校はデュッセルドルフです。デュースブルクは、産業都市です。私が住んでいた当時は、多くの建物が工場や鉱山の埃や煙で灰色または茶色になっていました。子どもの頃、多くの金属製のクレーンなどに興味をそそられました。いくつものパイプラインが通っている工場がありましたし。これらのパイプラインは遊び場の滑り台だと思っていて、祖母に「いつ乗れるの?」と聞いていたことを覚えています。
――実はスチームパンクが好きなので、灰色の都市というのは、すごく惹かれます。一方、小西さんのお生まれは島根とのことですが、どんなところなのでしょう。
〈小西〉 デュースブルクとは正反対に、自然の存在感が大きい土地です。
――島根と聞くとすぐ思い出すのが出雲大社。日本の中でもなんといいますか、厳かで神聖な土地のような気がします。
〈小西〉 今年のお正月は帰省したのですが、関東とは全く違う空気、時間が流れている場所だなと改めて思いました。厳かで神聖な雰囲気というのは間違いないですね。冬は特に晴れの日が限られていて、ともすると重い雰囲気になりがちです。たとえば東京は冬の間は晴天が続きますよね、島根の冬はその正反対と言ってもいいと思います、曇り空や雨や雪が何週間も続きますから。住んでいた時には、冬の中頃あたりで嫌になって、もういい加減にして欲しいと文句を言っていました。でもその悪天候の合間に、突然現れる晴れ間があって、光の変化に伴って運転中や散歩中の道や街、つまり日常の景色が目の前でどんどん変わっていくんです。それが美しくて息を呑んでしまう、今思うと私にとってとても大切な景色です。

■印象的な出会いがあって新たな道へ

――灰色のモノトーンの都市だったり、奥深い色合いが感じられる土地だったり、それぞれ実に興味深いです。かつてベルリンやマールブルクに知り合いがいて、ドイツの都市をいくつか回ったことがあるのですが、ドイツはどこも整然としていて、旅をするにはとても快適だと思いました。またまた個人的な話になりますが、私は子どもの頃、ジャガイモが好きじゃなかったのですが、父からよく「ジャガイモを食べないと、ドイツ人のように頭がよくならない」と言われたことがあります。その頃から「ドイツ人=じゃがいもを食べる人=頭がいい」という図式が私の中で定着したのですが(笑)、たとえばヨーゼフ・ボイスやゲルハルト・リヒターの作品を見ても、クレバーな作品というか、やっぱりドイツ人の作品だな、と思ってしまいます。
〈カンノ〉 ヨーゼフ・ボイスといえば、15歳くらいのときですが、両親が私を「Schloss Moyland」という美術館に連れて行ってくれました。この美術館は水の城であり、ボイスの膨大な芸術コレクションを所蔵する公園なんです。私は展示されたインスタレーション作品に戸惑うと同時に、大いに魅了されました。そして、これが私の人生でやりたいことなのだとすぐにわかりました。
――15歳でヨーゼフ・ボイスに開眼するなんてすごい!です。
〈カンノ〉 それと、私には遠く離れたところに住んでいた叔母がいて、その家のひとつの部屋には写真の壁紙が貼られていました。彼女の家を訪れたとき、その壁紙に夢中になったことを覚えています。インパクトがあり、私もこんな家に住みたかった。大人になったらこういう作品を自分で作りたいと思いました。いま画家としてそのようなものを作るチャンスはあるだろうと思います。
――子どもの頃から培ってきた芸術に対する気持ちが、ボイスや叔母の家に刺激されて決定的なものになったのですね。小西さんはいかがでしょう。
〈小西〉 私の場合、実際に美術に興味を持ったのは、実は21歳の頃なんです。それまでは寝ても覚めても映画ばかり観ていました。
――映画からアーティストへの道を進まれたということでしょうか。
〈小西〉 そうですね。はじめは映画を入口にして、欧米の文化や価値観、アートに興味を持ちました。ぼんやりと訳もわからないまま、絵なら島根でもできるかなと思っていた時に絵画の恩師である新井知生先生に出会い、その影響で現代アートやニューヨークに憧れを持つようになりました。アーティストへの道を目指し始めた直接的なきっかけは、20代後半でArt Students League of New Yorkに行ったのが大きかったと思います。
――どんなところですか。
〈小西〉 ニューヨークのマンハッタン57丁目にあるアート・スクールです。アメリカ国内外から学生たちが集まっていて刺激的な場所でした。卒業生に有名な作家や批評家もいて、憧れのアーティストと同じ学校で勉強できるという、震えるような嬉しさがありました。もう15年以上前のことなので記憶も薄れてきましたが(笑)。このとき教わった斉藤規矩夫先生という抽象絵画の先生が数年前に亡くなられて、それ以来NYは私にとって前とは違う街になりました。もう斉藤先生のスタジオにお邪魔できないと思うと寂しくて、何とも言えないような気持ちです。ともかく、このアート・スクールでの短期滞在の後、島根大学の大学院に進み、それからHanze University Groningen, Frank Mohr Institute, Painting (MFA)に行きました。オランダ北部のGroningenという地方都市にある美術大学院の絵画コースです。

■深く思考することと、それを目に見える形にすること

〈カンノ〉 私も小西さんと同じ美術大学院に通っていたんですよ。でも、小西さんとは学校で出会ったわけではなくて、後で共通の友人に紹介されました。小西さんの作品に一目惚れしました。彼女の絵は、別世界へと誘ってくれます。優しくて深い味わいがあります。思わず引き込まれるミステリーがあります。
――大絶賛ですね。小西さんから見て、カンノさんの作品はいかがですか?
〈小西〉 ソーニャさんの絵画作品を見たとき、穏やかで柔らかな世界に静かに佇む人だと思いました。自然に対する感覚に深く共感しています。そしてその世界へ、視覚、嗅覚、聴覚など、いろいろな感覚を通じて招いてくれます。異なる方法により、共通して共有されるものがあります。また、アーティストとしての引き出しの多さや、プロジェクトを成し遂げる芯の強さ、集中力にも刺激を受けています。ヒメルゲビルデというユニット名は、一緒に活動しようねと、2020年頃につけたものです。
――そのオランダの美術大学院ではどんなことを学ばれたのでしょうか。
〈小西〉 リサーチに重点が置かれていて、絵を描くだけではダメで、プレゼンや議論やレポート作成の割合が大きいコースでした。絵画コースの学生は一学年5~10人くらいで、全員が個室のスタジオ(制作部屋)をもらえて、その点では夢のようでした。また、オランダだけでなく、アメリカ大陸やアジア、ヨーロッパの国々からの留学生と共に制作し、議論し、食事やお酒を共にし、かけがえのない学びがありました。
〈カンノ〉 私は、学士号ではメディアアートを専攻し、修士号ではインタラクティブメディアを専攻しました。たとえばエレクトロニクスを使ったアートです。
――カンノさんの作品はエレクトロニクスとは真逆の世界に思えますが……。
〈カンノ〉 もちろん美術大学院時代から、いまのような絵も描いています。私の最初の絵は、黒または白のミニマルな単色スクリーンでした。木枠に張ったキャンバス地に描き、テクスチャーを試していました。いまは主に絵(平面絵画)を描くことに専念しています。
――絵画制作をする場合、一番に大切にしていることはなんでしょうか。カンノさんの作品は、幽玄な雰囲気が魅力的ですし、小西さんの作品は色の優しさや形の面白さも魅力です。
〈カンノ〉 私の作品の根底にあるテーマは、時間や無常、エントロピーといったところです。陶芸作品も手がけていますが、そちらは芸術作品というより、日常生活に実装できるオブジェと考えています。二次元の作品、つまり絵画には直接的な機能はありません。いわば瞑想のための視覚的な補助、つかの間の視覚的な痕跡、現在への入口のようなものと考えています。
〈小西〉 私もカンノさんの絵画に対する考えに同感です。抽象的な言い方になってしまいますが、私たちが生きる世界に存在する言語化できないものを作品に託したいのです。それはカンノさんの言う「瞑想のための視覚的補助」と繋がります。彼女の言うように絵画には機能はありません。その上で今の社会において絵画やアートに役割があるとすれば、それは言葉という道具がカバーできない部分に関係し、そこをアートが担っていると言っていいと思います。ここ最近特に、私の中でその事が度々思い返されるので、気を付けて心に留めています。自作が言葉で説明できるものにならないよう気を付けています。少し別の角度、具体的な事を言うと、制作過程においてあらかじめ決まった計画に依らず、体が無意識に取捨選択するような手法をとっています。体内の直観を大切にして制作するのですが、近代以降の西洋絵画の歴史を見ると、もうお馴染みと言ってもいいやり方ですね。

■文学や映画、そして音楽を作品の糧にして

――さっきボイスのお話が出ましたが、他にお好きな作家はいらっしゃいますか。
〈カンノ〉 トーマス・ヒルシュホルン、ロス・ブレックナー、サイ・トゥオンブリー、ゲルハルト・リヒターなどが好きです。私は皆さんにリヒターの多くの作品を見ることをお勧めします。彼はすべての画家にインスピレーションを与えてくれると思います。小さなものから大きなものまで、写実から抽象まで、あらゆるものを描くことができます。彼は他に類を見ない絵画という媒体を理解していると思います。
――リヒターにしろ、トゥオンブリーにしろ、理知的で哲学的です。
〈小西〉 私もリヒターは好きですね。サイ・トゥオンブリーも。
――小西さんと前にお会いしたとき、マーク・ロスコが好きとおっしゃっていましたね。
〈小西〉 ロスコについては以前ほど情熱的に好きという感じではないのですが、20歳くらいのときにロスコを知って、こんな絵があるのかとびっくりしたのです。そもそもアートに興味を持つきっかけになったのがロスコの作品でした。そのあと、少しずつ具象的な作品やインスタレーションに興味が移っていきました。
――カンノさんや小西さんの作品を拝見していると、深い文学性が感じられます。お好きな小説家などいらっしゃったら上げてください。
〈カンノ〉 文学ではヘルマン・ヘッセが好きです。もちろんノンフィクションも好きです。現在は形而上学に興味があります。シンクロニシティについて研究するのも好き。なのでC.G.ユングに興味があります。哲学者のベルナルド・カストラップも。
――カストラップといえば、宇宙はひとつの大きな意識であり、各人の自意識は宇宙意識が持つ別人格であるとする「宇宙の多重人格説」を唱えていますね。面白い考えだと思います。
〈小西〉 私は川上弘美や村上春樹の短編、アメリカ人のポール・オースターが好きです。柴田元幸さん翻訳のジャック・ロンドンやブライアン・エヴンソンも忘れられません。日常と非日常の間をひょいっと飛び越えるような感覚、日常にある異質なもの、時に怖いものに目を向けさせてくれる物語に惹かれます。あと、最近はサン=テグジュペリの「人間の土地」を読んでいます。この広大な大地と、地球と格闘する人間、私たちにはもう分からなくなってしまったような、もはや挑もうともしなくなってしまったような自然との対峙が描かれています。
――映画や音楽はいかがですか。
〈カンノ〉 60年代から90年代前半までの古いSF映画が好きですね。
――古いSF映画といえば、「2001年宇宙の旅」は1968年でした。「猿の惑星」もそう。70年代といえば「未知との遭遇」、80年代になると「E.T.」や「ブレードランナー」も。90年代前半までとなると、「ターミネーター2」あたりまででしょうか。特にお好きな映画はどれでしょう。
〈カンノ〉 はい、「ブレードランナー」の映画も好きです。「ブレードランナー 」(1982)、および最近の映画「ブレードランナー 2049 」(2017)。そして最初の2つのエイリアン映画 (1979 年、1986 年)。 Raumpatrouille Orion と呼ばれる60 年代後半の興味深いドイツ の SF シリーズもあります。それは私が好きな「スタートレック」といくつかの類似点があります。
――「スタートレック」は私も大好きでした。小西さんはいかがですか。
〈小西〉 最近、アート系映画をまとめて観る機会があり、タイの映画監督で現代アーティストのアピチャッポン・ウィーラセタクンの大ファンになりました。特に最新作の「Memoria」を観たときには、ショック状態に陥るくらいの感銘を受けました。それから、アメリカ人アーティストのマシュー・バーニーの最新作「リダウト」も素晴らしかったです。いずれの作品も自然と人間との関係がコア・テーマにあり、自身の制作のインスピレーションになりそうです。音楽は新旧のジャズ、国内外のインディ・ミュージックが好きです。最近はクラシック音楽にも興味を持っています。音楽の歴史もアートと繋がるところがある気がするので、いつか探求したい分野です。
〈カンノ〉 私はさまざまなジャンルの音楽が好きで、特にブラックメタルミュージックが大好きです。最初に聴いたバンドは、父が所有していたカセットテープのBlack Sabbathでした。ブラックメタルではありませんが、Black Sabbathはメタルジャ ンルの創始者と言えるので、聴いてみるのも面白いかもしれません。Master of Realityは特にお勧めのアルバムです。

■制作をするのに便利で刺激的な東京の暮らし

――話は変わりますが、趣味はなんでしょう。
〈カンノ〉 趣味といえるものはないです。私にはたくさんの興味があり、それらは互いに関連(もちろんアートとも)しています。
――趣味ではなくて、すべてが仕事(アート)になるんですね。
〈カンノ〉 アートとまったく関係ないことを選ぶとしたら、野良猫や捨てられた動物を助けることをしたいです。
〈小西〉 私もあらゆることがアートにつながるということでは、カンノさんと同じです。あえて趣味として挙げるとしたら、料理ですかね。絵と違って、作った後は食べてしまえるし、自分や身内が食べるだけなのであまりこだわりもなく、疲れません。作る面白さを楽しんだ後は食べて消えてなくなるのが最高です(笑)。シンプルなものしか作らないので大抵美味しいですし、外食より安いしで、良いことばかりです。
――そういえばお二人とも生まれた土地を離れ、現在は東京で生活しているわけですが、東京暮らしはいかがですか。
〈カンノ〉 東京に来て11年になります。日本はアート作品を作るのに、素晴らしい場所です。ここには多くの材料と技術プロセスがあります。初めて来たとき、特注の材料、道具、専門会社の多さに驚きました。どんなアイデアでもここでは形にすることができます。陶芸は小学生の頃から挑戦し、美大在学中もひとりでやっていました。日本に来て、義父が千葉の方に小さな陶芸工房を持っているので、そこで電動ロクロの技法を教えてもらいました。
〈小西〉 私は東京に来たのは4年前です。引っ越してきて1年経ったところでコロナ禍が始まり、自粛生活に3年近くを費やしてしまいました。なので、私の東京暮らしはここまでのところ、少し特殊なものになっていると思います。いまのところ、本当に人が多いなあとか、いろんな人がいるなあとか、皆さん猛烈に働いているなあとかいう、とても単純な印象です。あとは、満員電車やこれほどの人混みの中で生まれ育つ人と、地方で生まれ育つ人とでは、国が違うくらい違う人間ができるだろうなあと勝手に想像して、日々外国で冒険しているような気持ちで過ごしています。言葉にすると冗談みたいですけど、地方と都市の余りの違いに驚かされ続けています。
――アーティストの方はみなさんそうじゃないかと思いますが、アート作品だけで生活するのは難しいのではないかという気がします。ふだんはどんな生活なのでしょうか。さしつかえのない範囲で、生活スタイルを教えてください。
〈カンノ〉 夏は早起きです。冬はもっと遅いです(笑)。現在、陶芸ギャラリーで金継ぎの仕事をしています。これが日中の私の仕事です。仕事の前後にスタジオに行って絵を描きます。だいたい1~2時間くらい。キャンバスや使う絵具の準備に時間を取られます。さまざまな絵具やメディウムの実験にも多くの時間を費やします。夜は作品のアイデアを考えたり、新しい絵のタイトルを考えたり、スケッチブックにメモを取ったり。頭の中のアイデアを整理するために、外を散歩するのも好きですね。
〈小西〉 普段は派遣の英文事務や、たまにですが翻訳の仕事をいただきながら生活しています。英語を使う仕事は、私にとってのアートと同じで、日本と海外との狭間でする仕事だと思ってけっこう楽しんでいます。その他、単発で映画上映イベントやクラフトビール醸造・販売会社の手伝いなんかもしています。いろいろな分野の人と話すのが面白くて、良い刺激になるみたいです。
――制作時間を確保するのもたいへんそうです。
〈小西〉 制作は週末に1~2日集中してすることが多いです。毎日何かするのが理想ですが、複数の仕事を掛け持ちしているので、毎日どころか、数週間制作の時間をとれない時期さえあります。ただ、余裕がない時期はある程度あきらめて、気に病まないようにしています。毎日の生活の中で、スマホを利用して主に風景の写真を撮ることで、制作のためのいわばトレーニングのようなことはしています。これは自分が眺めている景色を、カメラを通じて一旦出力してみる作業です。屋外を歩きながら、構図や色、形に対する意識や感覚を研ぎ澄ましてゆき、自らの感覚を視覚化させる試みです。

■見てくれた人に共感と癒しをもたらす作品を

――将来やってみたいことはなんでしょう。
〈カンノ〉 もっとスケールの大きな絵を描いてみたいです。 また、最近、新しい塗装技法を発見しました。これをさらに探求できるようになることを願っています。しばらくの間、私は他のアーティストのためにアートクラスやワークショップを作ることも計画していました。以前は絵付けワークショップや陶芸教室で教えていました。しかし、これからはアート制作に苦労している人や、創作の道に行き詰まっている人のためのクラスを作りたいと思っています。私自身、クリエーションの壁を何度も経験してきたので、他のアーティストやクリエイティブな人々がこの段階を超えて成長し、彼らの創造の声を再発見できるように支援したいと考えています。
〈小西〉 私も大きな作品に取り組みたいですね。去年、日本橋にあるCommissary Nihonbashiというフードコート内の「2杯目のビール。」というお店横で、壁画の公開制作のプロジェクトをやりました。通りかかる人の反応を受けながら制作するのは本当に楽しかったし、このプロジェクト全体を通じて勉強になることばかりでした。小さな作品の面白さもありますが、大きいのは自分の手を離れて進む感覚を得やすくて、小さい作品の時もこういう心構えでやらなくてはいけないと改めて反省することができました。これからも何とかチャンスを見つけて壁画制作を続けていきたいです。あとは、海外でコンスタントに展示できるような事を考えたいです。方法は全くわかりませんが漠然とした目標です。

――最後に作品をご覧になった方へメッセージをお願いします。
〈カンノ〉 最近、身近な人が突然亡くなって、ものすごい喪失感を味わいました。私はその悲しみをうまく処理できなくて、約半年の間、まったく作品を作ることができませんでした。 いまは少しずつではありますが、この困難な状況を乗り越えつつあります。でもそういうことがあって、私の絵の描き方は劇的に変わりました。これらの新しい作品を、365カフェで見てくださった方々と共有したいと思います。そして、私の作品が同じように困難な時期を経験した多くの人々に、少しでも慰めをもたらすことができれば嬉しいです。
〈小西〉 私の作品を見てもし何か共感する感覚があれば、それをできるだけそのままにして、心の隅に置いてもらえたらと思います。それは忙しく目まぐるしい日常にあり、しかしそれとは異質なものでしょう。目で見たり、手で触ったりはできないものです。本展覧会のサブタイトルに「空の裏側」とつけましたが、この世界のどこかに空の裏側があるとして、そこに繋がるものと考えると個人的にはしっくりきます。自分の作品が、そういった日常にある異質なものに目を向けるきっかけになれば本望です。

作品および作品画像の著作権は全て作者に帰属します。当社および著作権者からの許可無く、掲載内容の一部およびすべてを複製、転載または配布、印刷など、第三者の利用に供することを禁止します。

企画:編集プロダクション 株式会社サンポスト