片岡理森 作品展 
2024.11.16~12.12
Song of Life vol.12
INTERMISSION

【第30回】片岡理森
画家。1978年 カナダ・バンクーバー生まれ。東京在住。多摩美術大学卒業後、出版社や新聞社の編集者として勤務。オリジナルの詩と絵画を組み合わせた作品を編み出し30代から本格的な制作活動をはじめる。絵本を読むように体感できる展覧会は好評で個展を中心に、国内外の企画展やアートフェアで発表を続けている。

【主な作品展】
・2024年6月 企画展「日台國際現代芸術展」新光三越(台北)
・2024年6月-8月 企画・巡回展「現代作家が描くクレパス画」(大阪,東京,鳥取)
・2023年11月 個展「時間と空間」孔雀画廊(東京)
・2023年2月 アートフェア「ART NAGOYA 2023」
・2021年11月 個展「MOTHER TOWN」あーとらんどギャラリー(丸亀,香川)

dressing room
(楽屋)

This world is always handing me a role to play. So,to stay sane and alive here, I needed time to face my true self.

何者かでいさせようとする
この世界で
正気を保って生きるには
何者でもない私と
向き合う時間が必要だった

destination of the missing objects
(消えたモノの行方)

Where did the objects that disappeared like smoke one day go? Does it have a role somewhere in time and space? Will it return to me when it has completed its role?

あるとき
煙のように消えたモノ達は
どこへ行くのだろうか
時空の何処かで
何かの役目があるのだろうか
はたして
役目を終えたら返ってくるのだろうか

【見どころ】
「私の制作のテーマは、日常生活の中で出会う身近な『疑問』や『気づき』です。それらを『Song of Life』と呼んで個展や画集のシリーズタイトルにしています」という片岡理森さん。色を塗り重ねられた重厚な、それでいて軽やかさのある作品からは、まさに音楽が聞こえてきそうです。絵と詩を組み合わせてひとつの作品にしている片岡さんの、制作の裏側に迫ります。

インタビュアー 株式会社サンポスト 前田 敏之)

■モノが存在する証は、その周辺の見えない部分にある。

――詩人が絵を描いたり、あるいは画家の方がエッセイなどを書かれることはありますが、絵と詩がセットになっているのはあまりないように思います。
〈片岡〉そうですね、見かけないですね。当初、私のメッセージはとても個人的な感情表現でしたが、各地で作品を発表してみると、育った環境や国籍が違っても、なぜか皆さんの人生に重なる部分があって、自分ごとのような共感を感じていただいていることがわかりました。それは、人間は抗いがたく「同じ」であることの証明のようにも思いました。それから徐々に、普遍的な人間の心の動きや人生を俯瞰的に捉えるようなメッセージに変えていきました。
――絵と詩が互いに補完し合っているというか、絵は万国共通とよく言われますが、添えられている詩が、絵の解釈をより深くしてくれるようにも思います。
〈片岡〉見る人に解釈をゆだねるような作家さんもいらっしゃいますが、私の場合は、作品をとおして伝えたい想いがそれぞれあるので、仰るように、より深くわかりやすくする手段として絵と詩の両方が必要だと思っています。お客様によっては、詩のほうがメインで、詩を持ち帰りたいという意識で作品を購入してくださる方もいらっしゃるくらいです。
――では具体的に伺っていきたいと思います。絵は子どもの頃から描かれているのでしょうか。
〈片岡〉母や祖母達が、何かしら物作りをしていた人たちで、絵を描いたり粘土人形を作ったりというのは日常的に遊びとして、していました。都内の美術館にもよく連れて行ってくれて、印象派の作品の画集をサンタクロースにお願いする子になりました。人見知りがひどくて、気持ちを言葉にして話すのが苦手だった分、絵を描いたり手紙のような文章を書くのが得意でした。家の近くの絵画教室にも通っていましたよ。よく覚えてないですが、なんだか賞をもらって、そういうのは初めてだったので、嬉しくて続けていました。褒められると伸びるってほんとですね。
――私も小学生の頃、家から歩いて1分くらいのところにあった児童絵画研究所に通わされましたが、嫌で嫌で、すぐに辞めました(笑)。遊ぶ時間を取られるのが嫌だったみたいです。片岡さんは中学や高校でも絵を描かれていましたか?
〈片岡〉中学の頃は、離れていたかもしれません。他の勉強についていくのが大変で。高校になって美大を意識するようになってからは、美大用の予備校に通って描いていました。
――将来、画家になるのは自然な流れだったのでしょうか。
〈片岡〉どうでしょうね。そう言えたら素敵ですけど、他の勉強がまったくできなかったので、それ(画家)しかなかったというのが事実かと(笑)。力の使い方が、何事も0(ゼロ)か100かなんです。興味があることには、命をかけて集中する。それ以外はまったくやる気無し。ほんと、ひとつでも興味があることに出会えて良かった。

■見えないものを見えるように描く。

――いくつかある美大の中で、多摩美術大学を選ばれたのはなぜでしょう。
〈片岡〉いまはどうだか知りませんが、当時は美大の倍率ってすごかったんですよ。だから、現役で入れたらどこでも行くつもりでいろいろ受験しました。私としては格好良い人が行くイメージの武蔵美に行きたかったんですけれど、選んでくれたのは奇妙な人が行くイメージの多摩美だけでした(笑)。結局、油絵科なのでいずれにせよ格好良くは過ごせない運命でしたけれど。
――そうですか? 油絵科って格好よく見えますよ。篠原有司男さんが好きなんですが、92歳のいまも超カッコいい―です(笑)。それはさておき、美大時代の印象的な出来事があれば教えてください。どんな学生生活でしたか?
〈片岡〉当時多摩美は八王子の山の中にあって、最寄り駅からスクールバスが出ていて、そのバスを逃すと大変なことになってしまうので、バスの時刻表をいつも気にしていました。自宅から通っていましたから、重い荷物を持っての往復で疲れ果ててしまって。薄々気づいてはいましたけれど、美大で絵を教わることはありませんでした。絵描きになる方法も教えてくれません。でも、いま思い返すと何より大事な、作品を生み出す力はあの時期に身についたと思っています。
――美大の油絵科だと、最初は具象ですか?
〈片岡〉はい。具象を描いていたんですけれど、2年生くらいのときに疑問がわきはじめて、まったく描けなくなりました。モノが存在することを描きたいのに、モノを描くことでその存在から離れてしまうような感覚になって。存在するってどういうこと?って、哲学のような問いをずっと抱えていました。だからといって哲学者が言うことを調べてもピンときません。
――いきなり根源的な問題に直面されたのですね。皆が直視しないで避けて通るような問題に。どうやって打開したのでしょうか。
〈片岡〉手がかりになったのは、大学図書館や古本屋にあるさまざまなジャンルの画家の画集です。空き時間に片っ端から見ていきました。日本画の巨匠、髙山辰雄先生の作品を見たときに、光が差したような、ヒントをいただいたような気持ちになりました。4年生になるくらいでようやくたどりついた答えがあります。言葉足らずですが……モノがそこに存在する(した)という証は、モノ本体ではなくて、モノの周辺の見えない部分にある、というのが私の答え。見えないものを、見えるように描くことで、思うような作品に近づけた気がしました。
――視覚実験で「トロクスラー効果」というのがありますが、1点を見つめていると回りにあるものが消滅(見えなくなる)します。それと逆で、周辺を見ることでモノが浮かび上がるということはあると思います。自己は自分の内側にはなくて、周囲との関係性によって形成されるといわれますから。でも、見えないものを見えるように描くというのは、言葉では簡単ですけれど、相当たいへんなのではないでしょうか。
〈片岡〉感覚として納得できたので、それからは疑問も違和感もなく描けるようになりました。あの時期は本当に苦しかったけれど、学生という立場でしっかり悩む時間をもらえたからこそ、達成感と自信を得て、いまこうして描いていられるんだと思います。作品を生み出す力というか、悩む力を得たのかもしれませんが。
――悩む力は大事ですね。でも皆、避けて通ろうとします。たいへんだから(笑)。
〈片岡〉まあ、そんな感じで、往復でヘトヘトだし、ずっと自問自答しているし、で、残念ながらキラキラした大学生活は何も思い出せません(笑)。

■(花が)朽ち果てるというよりは、あるべき場所へ誇らしく帰っていく。

――大学を卒業されて、編集者になられました。それはどうしてなのでしょうか。
〈片岡〉美大を出たばかりの頃は、作家としてのコンセプトがまだ定まってなかったことと、世の中を知らないまま何を世の中に伝えたいかなんて定まるはずも無いと思っていて、一旦、美術から離れようと就職をしました。絵を描くことと同じくらいに文章を書くこと、本を読むことも好きだったので、出版を選びました。当時、美大油絵科卒だと、教師とかゲーム会社とかが進路として多かったようですが。4年生のときに神保町のエディタースクールに通って、なんとか就職しました。はじめは教育系、次は情報誌、次は医学系、ウェブ記事の編集などなど、同じ業界でたくさん転職しました。仕事としてはできるけど、やっぱり、命をかけるほどの情熱はそこに生まれなかった。
――ふつう仕事(生活費を稼ぐ手段として)に命はかけませんけれど(笑)。でもなんとなくわかります。こんなことで時間を取っていていいのだろうか、という焦りみたいな。お金は稼げるけれど、本業じゃない、みたいな。
〈片岡〉そうなんですよね。ずっと焦ってもがいていた気がします。25歳の頃、忙しい情報誌の編集を辞めたときに、1ヵ月くらい現実逃避みたいな感じでイタリアのフィレンツェに滞在しました。そこで社会人向けのアート系専門学校で短期コースを受講しました。街がまるごと芸術作品のようなフィレンツェで、大学以来の課題をこなしながら、美術館巡りをしました。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリ……巨匠たちの作品を初めて目の当たりにしたときは、頭を殴られたかのような衝撃でした。こんなに完璧で最高な作品が既にこの世にあるのに、私が新たに作品を作る意味なんてあるんだろうか? 伝えたいことなんて見つかるんだろうか? と心底落ち込みました。日本に帰って、また生活のために働いて。でも、その頃からまた少しずつ絵を描き始めていました。描くというか、模索するような感じで。
――確かに巨匠たちの作品は、あまりにすごいので、ずっと見ていると落ち込みますね。絵と詩を組み合わせるスタイルは、いつ頃から行っているのでしょうか。
〈片岡〉29歳の頃、母方の祖父が亡くなったことで、祖母と二人暮らしをはじめました。祖母が一軒家にひとりになってしまうことを心配してそうしましたが、私も生活をリスタートさせたいタイミングだったので一石二鳥でした。祖母の家は都内でしたが、まわりに緑がたくさんあって、鳥の鳴き声がして、神社の鈴の音が聞こえて……なんだか異世界感があるところでした。古くて、ちょっと傾いていて、隙間風が寒いその家に住んでいたときに、絵と詩の、私の制作スタイルが生まれました。
――いわゆる天啓みたいな感じで、降りて来たのでしょうか。
〈片岡〉いや、そんなスピリチュアルでは無いんですけど。ただ、花が大好きな祖母が、薔薇の花を花瓶に生けていたんですが、それが少しずつ朽ちていく様子がとても美しくて、朽ち果てるというよりは、あるべき場所へ誇らしく帰っていくように見えました。その薔薇を部屋に持っていって、2時間くらいで描いたのが「LIFE」という作品。描きながら考えていたのが、詩の内容でした。→http://www.yoshi-mori.com/detail/wy_2008_05_life.html
――突然ですが、寺山修司の「懐かしのわが家」を思い出しました。例の有名な、「ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかゝって 完全な死体となるのである」というフレーズが入っている詩です。皆、最後はあるべき場所に帰っていくのだけれど、それが“誇らしく”帰って行けるかどうかなんですね。誇らしくあれ、と思うと、連綿と続く生というか、いまある日常が一層煌めきますね。
〈片岡〉そうですね。特別な出来事や、奇抜な発想なんか必要無かったんだなって。日常のいたるところに、人生を教えてくれるものがあって、ひとつの事象でも解釈の違いでまったく意味が変わることがある。私を含めた多くの人は、惰性的に毎日を過ごして、一方向から物事を見ているせいで、気づけていないことがたくさんあると思いました。この約1年後、30歳になる2008年に初めて個展を開催しました。ようやく、自分らしい手段で、世の中に伝えたいことが見つかったからです。

■INTERMISSION(幕間)にふと思い巡らす。

――制作について具体的にお伺いします。絵が先なのでしょうか、詩が先なのでしょうか。あるいは同時?
〈片岡〉詩はコンセプトなので、詩が先です。言葉の微妙なニュアンスは後から調整しますが、漠然とでもコンセプトが必要です。技術的に上手な絵を描ける人は、画家と名乗ってなくてもたくさんいらっしゃいますから、コンセプトがあるということが作品価値として重要だと思っています。
――好きな詩人、あるいは作家の方はいらっしゃいますか? 画家では高山辰雄さんの作品に感銘を受けたとのことでしたが。
〈片岡〉詩人はいません。というか、国語の教科書以外で読んだことがないので存じ上げません。作家は、一番古い記憶で好きだったのは、宮本輝さんです。長編小説ではなくて、エッセイが好きです。中学生のときに通っていた塾のテスト問題に使われていた「夜空の赤い灯」という文章を読んで、うわーと思って、本屋で買いました。『二十歳の火影』という短編集に入っている、ほんの数ページのエッセイです。角田光代さんも小説ではなくてエッセイの方が好きで、短編集『今、何してる?』は旅先の待ち時間にぴったりで持ち歩きすぎてボロボロ。あとは、ユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』とか、学術的に人類を客観的に説明するような本も好きです。フィクションよりノンフィクションのほうが好きなのかもしれません。小説もたまに読みますが、あまり記憶に残らなくて。唯一、面白くて知人にオススメしたのは原田マハさんの『楽園のカンヴァス』です。
――シリーズのテーマが、「Song of Life」ですが、まさに作品を拝見していると音楽が聞こえてくるようです。音楽など、他のジャンルの芸術作品についてはいかがでしょうか。
〈片岡〉ありがとうございます。音楽が聞こえるという感想はよくいただきます。音楽は好きでよく聴いていますが、全然詳しくなくて。楽器も何もできません。憧れからチェロやバイオリンを絵に入れることは多いかもしれません。溝口肇さんのチェロは好きで制作中に聴くこともあります。
――映画などはいかがでしょう。
〈片岡〉映画は好きです。昔ほど映画館に行かなくなりましたけれど、ジャンル問わず観てきました。好みなのは、ジャン=ピエール・ジュネ監督やティム・バートン監督とかの、色彩が印象的なものとか、クリストファー·ノーラン監督の何度も見ないとよくわからないものとか、いろんな監督が作っていますけどタイムトラベルものとか。
――かなり「濃い」監督の作品がお好きなんですね。クリストファー·ノーラン監督の作品は、何度観てもわからない(笑)。わかろうとしたらいけないのかもしれません。モノを見るのではなくて、周りから攻めないと。
〈片岡〉そうですよ、周りが大事(笑)。いつか広いアトリエが持てたら、プロジェクターを買いたいです。
――プロジェクター、いいですね。いまじゃパソコンで簡単に映画が観られますけれど、大画面の迫力は代えがたいですね。でも……某作家の応接間にプロジェクターがあって、原稿を取りに来た編集者がそこで映画を観ながら原稿待ちしている。某作家は自分がひいひい言いながら原稿を書いているときに、編集者がのうのうと映画を観て寛いでいるのが、次第に腹が立ってきたと言っていました。プロジェクターを導入したら、仲間のたまり場になってしまいそうです。
〈片岡〉その点は、私は家にくるような友達はいないので大丈夫(笑)。家のテレビでは衛星放送で流れている海外ドラマしか観ません。配信系は加入しちゃったら仕事ができなくなりそうなので入っていません。もっぱらBBCのミステリー系ドラマばかり観ています。
――話が逸れましたが、それでは制作のスタートは、言葉をメモするところから始まるのですか。
〈片岡〉はい。日々、気になったことをメモしておいて、それを膨らませる感じです。スマホのメモ帳によくわからないメモがたくさん残っています。
――制作はどのようなリズムで行っているのでしょうか。たとえば夜、皆が寝静まってから制作する、とか、早朝から取り掛かるとか……。
〈片岡〉制作は、色を使うときは自然光でやりたいので、朝から日が沈むまで。下地作りとかの作業であれば夜でもやります。基本的に私の生活は、すべて猫が中心。早寝早起きだけど、途中で何度も起こされるから常に寝不足、みたいな感じです。
――猫ちゃんがいるんですね。
〈片岡〉はい。猫のために生きてます(笑)。歌舞伎町の野良猫の子を譲り受けました。黒猫で、だいぶ高齢になりましたけど。制作中はたいてい足元で寝ているので、つい作品の中に登場させてしまうことも多々あります。
――それでは、好きな場所、行ってみたいところはどこでしょう。
〈片岡〉基本的にはインドアで、家にいるのが一番好き。外出で好きなのは、神社かな。ユルく御朱印も集めています。空気がきれいで、人が少ないところがいい。私は無宗教ですが、自然や、衣食住など身の回りのさまざまなものに神様がいるという日本人の考え方は好きです。信仰は無いけど、人知を超えた存在を感じずにはいられない瞬間って、ありますよね。海外も国内もわりと旅はしてきたので、自分で行ける場所には、もう行ったような気がする。これから先は、展示などで呼ばれた場所に行くのを楽しみたいです。
――これからやってみたいことは何でしょうか。その実現のためにこれから行うことは?
〈片岡〉最近は、あまり先のことは考えないようにしています。明日、どうなるかわからないという感覚が以前よりも増していて。その分、平穏な毎日に感謝する気持ちも強くなりました。ただ、制作を続けていられたらそれで幸せです。私にとって制作は一生続けたい研究のようなものなので、こうして研究発表会(展示会)をしながら、より多くの人に作品を体感していただきたいです。そのために日々、地道に精進していきます。
――最後に365カフェに来られたお客様へメッセージをお願いします。
〈片岡〉今回、初めてカフェを会場として展示をさせていただきます。私の作品は、見る方への問いかけとともに、ご自分と向き合って考える時間を作るきっかけになることを目的としていますので、カフェという場所のほどよい騒音と相まって、皆さまの考え事に拍車をかけてくれることを期待しています。今回の作品展全体のタイトルである【INTERMISSION(幕間)】というのは、お芝居で一幕が終わって次の幕が開くまでの10分~30分程度の休憩時間を指す言葉です。日常の生活が舞台上でスポットライトを浴びている状態だとしたら、カフェでひとりほっと一息ついているときや、通勤電車で窓に映った自分の顔をぼんやり見ているときとか、そういった時間が幕間なのだろうと思います。頭を抱えて考えこむのではなくて、よそ行きの顔を束の間OFFにしている時間に、ふと思い巡らすような言葉と絵が集まりました。ぜひお愉しみください。

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