清水信吾 写真展
『金環日食』
2023.6.9(金)~7.27(木)

【第18回】清水信吾

神奈川県横浜市生まれ。
写真家。
モデル、企業のトップ、職人さんなどの人物撮影から、車や住宅の撮影まで幅広く行っている。

Hotaka

Matsue

Oosaka

【見どころ】
「世にも不思議な物語」ではありませんが、現実ならぬ「幻日」とでもいいたくなるような神秘的な風景写真。写真家の清水信吾さんは、「現実世界の、もうひとつ向こう側の世界を撮りたかった」といいます。写真展全体のタイトルにもなっている「金環日食」は太陽と月と地球が一直線に並ぶ状態。宇宙の壮大さに魅了されるとともに、いつもと違う何かが起こりそうな予感もします。清水さんはカメラを改造してこれらの写真を撮影。そこに至るまでの足跡を辿りたいと思います。

インタビュアー 株式会社サンポスト 前田 敏之)

■小1のときの記憶はストリップ劇場!?

――お生まれは横浜市とのことですが。
〈清水〉横浜と横須賀の間の街です。
――どんなところですか。いまとはだいぶ違っていたでしょうけれど。
〈清水〉大きな工場と漁港のある、いわゆるお洒落な横浜ではないところですね。いま思うと、子どもの頃の記憶というか思い出す情景は、どういうわけか白黒映像なんです。
――そう言われてみると、子どものときの記憶って、色はないかもしれませんね。個人差によるのかもしれませんけれど。最初の記憶、覚えている映像って何でしょうか。
〈清水〉ムカデを棒でいじっている記憶かな 小さかったから危ない生きもとは気づかなかった。とてもかっこよかった記憶です。
――それは何歳のときの思い出ですか。
〈清水〉5歳くらいかな。ちょっとだけこみいった家庭だったのですが、小学1〜2年のとき、ひょんなことから湯河原(熱海?)のストリップ劇場みたいなところに夏休みの何日間か預けられていた時期がありました、当時はどこにいるのかもわからなかったのですが(笑)。これは騒いじゃいけないところだと直感で気づき、でもお菓子は食べ放題、お兄さんもお姉さんもみんな僕には優しい、キラキラの服を着た素足のお姉さんたちから、お客さんがいるときは絶対お店を覗いちゃだめよ!と言われ、奥の部屋でじっとしていたのですが、だめと言われると……ピンクとムラサキの世界でした。
――いきなり小沢昭一の世界! 小沢さんのストリップ小屋の人々を撮影した写真を思い出しました(笑)。望んでもできないすごく貴重な体験です。
〈清水〉いまにして思うとほんと貴重な体験ですが、当時は探検の毎日でただストレンジディでした。他にはあまり子どもの頃の記憶は少ないのですが、その時のいろいろなセンテンスは覚えています。
――カメラを初めて手にしたのはいつでしょう。
〈清水〉中学2年生のときに、あまり家にいなかった父からニコマートをもらってからです。それまで写真には興味なかったのですが、カメラがかっこよかった。
――たしかにかっこいいですね。私もニコマートFTNを使ったことがありますが、頑丈でザ・プロって感じでしたね。当時ニコンのフラッグシップ機のFは、もちろんプロ仕様なんですが、どこか気品がありました。が、ニコマートは「実を取る」みたいな、落としても壊れないイメージがあります。(実際に築地市場のコンクリートの上に落としたことがあるんですが、まったく壊れませんでした)。ちなみに機種はFTですか、ELですか?
〈清水〉ニコマートFTnでした。シャッターダイヤルが鏡胴側にあって萌えていました(笑)。
――最初にニコマートで撮影したときのことは覚えていますか?
〈清水〉うーん、なんだろうよく覚えてないな。

■バックパッカーになってアジアを放浪。

――中2でカメラを手にしてからは撮影しまくりって感じですか(笑)。
〈清水〉写真部を覗きには行ったのですが、どうも部活動が苦手で、大したことはやっていませんでした。
――それでは、カメラ少年、いや篠山紀信流に言えば、カメラ小僧が写真の学校へ行って、プロになったというパターンではない?
〈清水〉はい、写真の学校には行っていないんです。当時、バックパッカーに憧れていまして……。10代後半から20代前半まではぶらぶらしていました。
――バックパックでヨーロッパを目指す若者には、大きく分けてシベリア鉄道でヨーロッパへ行くパターンと、アジアを経由して行くパターンがありますが、清水さんはどちらだったのですか。
〈清水〉長かったのは中国、香港、あとはトルコ、パキスタン、ネパールなどです。アルバイトでお金を貯めて出かけました。
――おお、沢木耕太郎の『深夜特急』のようです。藤原新也の『全東洋街道』も評判でしたが、清水さんがアジアを回られたのは、その頃ですか。現地での写真撮影はいかがでしたか?
〈清水〉『深夜特急』は読んだのですが、なんだか恥ずかしくなっちゃって……途中で読むのを止めました。
――確かに沢木さんはセンチメンタルなところありますから、でもそこが魅力でファンが多いと思いますが。清水青年は、クールだったんですね。
〈清水〉『全東洋街道』は写真もすごかったのですが、こっちは写真の上にドンと文字が載っているというデザインが斬新で、その視覚感にやられた記憶があります。あと、中沢新一の『チベットのモーツアルト』を読んで、全然よくわからないけどチベット行ってみたい、なんて若かった日々を思い出しました。バックパッカーでは有名な香港の重慶飯店で、薬やら鬱やらでボロボロの人たちとしばらく一緒に過ごしたあと、バンコックで知り合った人に「ここで日本料理屋を一緒にやらないか」といわれてちょっと心は動きましたが、日本が恋しくなってバックパックは終了です。
――もしそこで料理屋をやっていたら、シェフ清水の誕生でしたね。では本格的に写真の仕事に就かれたのはいつでしょうか。
〈清水〉たまたまやっていたアルバイト先の方から紹介されたのが車撮影のプロカメラマンのアシスタントの仕事でした。そこから編入されて20名ほど写真撮影事務所へ入りました。そこはフリーのカメラマンが何名も居候しているようなゴチャとしたところでしたが、刺激もあって心地よく8年程度在籍後、フリーカメラマンになりました。31歳のときです。同時期に辞めたカメラマンと個人カメラマングループ「ルビーアームズ」を結成しました。

■柳田國男と村上春樹のベクトルは同じ?

――写真家の方で目標とされてきた方はいらっしゃいますか?
〈清水〉特にいません。というか、正直、写真関係はよくわからないです。
――作品の制作で、他のジャンルから影響を受けたようなことはありますか。
〈清水〉昨年行ったシガー・ロスのコンサートはとても良かった。音楽はクラシックからオルタナティブなど静かな曲をよく聴いています。あと、本は大好きです。活字が好きなのかもしれません。SF、幻想文学から現代文学までなんでも読みます。
――そういえば、清水さんというといつも分厚い本を抱えているイメージがあります。昔の話でいえば、トマス・ピンチョンの『重力の虹』とか、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』などのミステリーとか。最近、清水さんのフェイスブックでは村上春樹の『街とその不確かな壁』のことが書かれていましたが……。
〈清水〉最近、村上春樹を読み直しています。
――読み直していかがですか。
〈清水〉若い頃には読み飛ばしていたところが、やっとこの歳でわかってきた感じがします。村上春樹と柳田國男は同じベクトルだと思うんです。
――えっ、柳田國男? それはまた意外な組み合わせに思えます。
〈清水〉実は中学生の時に柳田国男の『遠野物語』を読んで感銘を受けたんです。すごいショックでした。序文にある「願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」で、まさに平地人である中2の僕は戦慄させられました。『遠野物語』は一つ一つは短い話でスナップ写真のようなのですが、そこにとてつもなく深い世界が感じられます。各地の伝説や因習、祭りなどが好きなのはこの本の影響だと思います。
――たとえば京極夏彦の妖怪ものなどが柳田國男と結びつくのはわかりますが、村上春樹と同じベクトルというのはどういうことか、もう少し具体的に説明してください。
〈清水〉あまり変なことを言うとハルキストの方々に怒られてしまうかもしれませんし、僕の勝手な思い込みなのですが……。どちらも現実の生活や世界に普通に暮らしているのですが、ちょっとずつ違う世界が重なってきて、やがてまるっきり違う世界に持っていかれる。座敷わらしやオシラサマの異世界のモノが、村上春樹の世界に出てくる比喩的な井戸の底だったり、あるいは立ちはだかる壁だったり、羊だったり女の子だったりと重なる気がします。
――そういえば、加藤典洋の『村上春樹の短編を英語で読む』に村上の小説に出てくる井戸の話があって、吉本隆明の文言を引用しているんですが、「井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像を持たなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている」と。村上の井戸の深いところが別の場所につながっているように、柳田國男もどんどん深いところに下りていって、外の世界とつながっている。清水さんの言うベクトルって、深化する垂直ベクトル、つまり壁を突き抜けるベクトルなんじゃないかと、ふと思いました。

■改造カメラを駆使して幻想的世界を創出する。

――ちょっと寄り道してしまいましたが、写真の話に戻ります。カメラは何台くらいお持ちですか。
〈清水〉フィルムを使う8×10から数え始めたら、いっぱいです(笑)。仕事ではキヤノンがメインで、今回の作品に関してはいろいろなメーカー(パナソニック、キヤノン、ソニー、シグマ)の4台のカメラを使っています。
――改造されていると伺いましたが。
〈清水〉はい。展示作品はほぼ改造したカメラを使っています。先輩の写真家から改造方法を教わり、中古の安いカメラを自分でバラして改造しています。最初はコンパクトカメラから初めて、失敗も何台かしています(笑)。いまメインで使っているのはシグマのSDquattroですね。
――改造というのは、具体的には何をどう改造するのでしょうか。
〈清水〉まず素人の僕でも分解しやすいカメラかどうかをチェックして、センサー前に余分なスペクトルを除去するフィルターがあるのを外します。ただこのときにオートフォーカスが効かなくなったりとか、カメラ自体動かなくなったりとかいろいろです。
――余分なスペクトルを除去するフィルターを外すと、今回の作品のような感じになるのでしょうか。
〈清水〉残念ながらそれだけではうまくいきませんでした。いわゆる昔のコダックの鉛の缶に入っていた赤外線写真を狙っていたのですが、改造しただけではどうもピンと来ず、改造+後処理調整でいまのような感じになりました。
――作品のテーマである「もうひとつ向こう側の世界」というのは、どういうことなのでしょうか。
〈清水〉カメラで撮影すると、露出など同じパラメータならカメラを固定していれば、どんな人がシャッターを押しても、まったく同じに記録されます。そしてシャッターを押した人は自分が見えた風景はその写真の通りに見えていると思います(大雑把ですが)。目の色も人種もジェンダーも背の高さも好き嫌いも違うのに……。ましてや人以外の生物はどう見えているのか不思議に思っていました。たとえば、蛇の目は僕らの目のように水晶体の厚さを変化させてピントをあわせるのではなく、カメラのレンズのように水晶体を前後に動かしてピントをあわせ、赤外線探知用の器官をもっています。動物たちには世界がどう見えているかはわからないですが、この写真を僕は、もう一つ向こうの世界を覗く蛇の目だと思っています。仕事の場合、シャッターを押したときに手応えみたいなのがあり、それが快感でもあるのですが、このシリーズ関しては、撮影時の手応えはあまり感じず、家に帰り、それこそ何日か後に見直すとジワジワと浮いてくるのです。暗室で現像液に印画紙を入れたときのような感じがして、自分でも楽しいです。
――それこそデジタルカメラでは写したその場で見られるわけですが、時間が経つと浮かび上がる写真。時間軸がズレているような、それだけでも何か神秘的な気がします。最後に作品展をご覧になった方にメッセージをお願いします。
〈清水〉コーヒー豆の焙煎が好きで、20年近くやっています。仕事を引退したらコーヒ豆の焙煎店でも、なんて思っていましたが、美味しいカフェが流行ってしまい諦めました(笑)。今回365カフェで展覧会を開催することができて、とても嬉しいです。実は一昨年までこれらの写真をまとめる気があまりなかったのですが、ある先輩の急逝をきっかけにまとめることができました。ここで見ていただけるのも何かの縁だと思います。ご覧いただき、ありがとうございます。

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