大谷津紗和展 
まだ柔らかいかたち
12.17[土]- 2023.2.1[水]

【第14回】大谷津 紗和展 まだ柔らかいかたち

画家。栃木県宇都宮市生まれ。武蔵野美術大学油絵学科卒業。

【主な作品展】
2022年 「重力のロマンス」奈良 藤影堂

「赤髪の女」

「庭」

「朝」

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【見どころ】ちょっと憂いを帯びた人物、優しい色彩の静物、見る人の心に静かに入り込んでくる一見親しみやすい絵画でありながら、実はそこには見えない穏やかな毒が仕込まれている。みな、いつしかその毒にやられてしまい、思考を停止し、作品世界に取り込まれてしまう。ちょうどある種の水母が触手によって獲物を麻痺させるかのように。そっと、ふわりと、気づかないうちに襲われ、痺れるのだ。おそらくその不可解さ、不思議さ、深遠さは作者が意図したものではなく、まだ方向性が定まっていない、限りなき可能性を秘めた内なるエネルギーによって表現されたものに違いない。作品を前に、素直に楽しむのもよし。またダブルミーニングを読み取るべく、思案するのもまたよし。いろいろな捉え方ができる大谷津紗和さんの作品世界。その裏側に迫ってみたいと思います。

インタビュアー 株式会社サンポスト 前田 敏之)

■絵画も詩も“直接感覚に触る”ところが共通

――いきなりですが、詩も書いていてnoteに投稿されていらっしゃいますね。 2022/11/15の「赤い花」とか2022/3/4の「ハッピーエンド」とか、2022/1/29「あなたに」とか、2021/11/20「全力疾走」とか、どれもすごくいいですね。
(詳しくは、こちらをご覧ください。➡https://note.com/fabricpeace028
〈大谷津〉ありがとうございます。
――大谷津さんの中で、絵画と詩は、どのような位置づけになっているのでしょうか。
〈大谷津〉詩を書くときに使う言葉は、普段人とコミュニケーションをとるために使うなんでもない言葉と同じです。でも人に出来事を伝えるためだけにある言葉が、目で見るよりも強く直接感覚に触れるような文章や新しい言葉になることがあります。“直接感覚に触る”という点で視覚芸術である絵画と共通しているかもしれないです。過ぎた時間や見たものの曖昧な正体を固形化する行為というところでは、詩も絵画もやっていることは同じだと私は思っています。何かを感じたときその感覚が宙に浮いているのが気持ち悪いので、詩ではより具体的に的確に、絵画では流動的でより感覚的にそれらを固形化しているという違いはあるかもしれません、でも「言葉」そのものにがっかりする瞬間はあります。「言葉」は如何様にも嘘をつくことができるものです。それは自分に対しても、です。自分の気持ちを綴るときはとくに悪く、自分で自分のことを偽っている自覚がないものです。他者や自身を欺く文章を悪意があっても、なくても書けてしまうんです。その点でいえば絵は嘘をつけません。自分や誰かを欺こうと描いたとしてもそれは必ず見破られます。そういったところは絵画に期待してしまうところかもしれません。
――詩はどんなときに書かれるのでしょうか。ふいにフレーズが思い浮かんでくるのでしょうか。
〈大谷津〉外に出ているときに、人を見たり風景を見たりしているときに言葉が出てくることもあれば、夢の話を書いたり、一人でぼーっとしているときにぽっと出てくることもあります。でも「詩を書くぞ」という気合のもとに書く、というよりは普通に生きていて感じる違和感とか、怒りとか、悦びとかを何か見える形に、確かにあったこととして自分に説明するために書いていて、基本的にいつも勝手に言葉が浮かんできます。ひとつ言葉が出てくるとその言葉に従って書く、といった感じです。
――先ほど、絵画と詩の共通の部分として、「過ぎた時間や見たものの曖昧な正体を固形化する行為」とおっしゃいましたが、ということは、たとえば静物を描く場合、静物のある現時点の状態に加え、時間軸もそこに取り込んでいるということですか。
〈大谷津〉時間そのものに特段関心があるわけではないですが、詩は「自分がいつか見たもの、あのときのあの寂しさ、あの悦び」を形に、固形にしたいというのがあります。必ず過ぎて終わる一瞬を掴むような行為だと思っています。絵画ではモチーフに対して時間の経過を感じるというより、チューブから出た絵の具に時間を感じます。なぜか絵画は絵の具が乾いた時に完成と見なされます。それは当然なのですが、どうしてだろうとたまに不思議に思います。まだ何も書かれていない白いキャンバスに一つ色が与えられ、また別の色が与えられていく、そして何かの形になったり、意図しない色が生まれたりする。まだ絵の具が乾いていなければどのような形にもなりうる、ということが私にとってとても不思議で、何かとても大きなものに触れているような感覚になります。だから完全に乾いて、触ることができるようになった自分の絵を見ると、少し重たい気分になることがあります。
――大谷津さんの絵画作品を眺めたとき、(私の勝手な思い込みかもしれませんが)画面が揺らいで見えるのは、そこに4次元(時間軸)があるからではないかと思いました。話は逸れてしまうんですが、アービング・ペンという写真家と、リチャード・アベドンという写真家がいて、彼らが撮ったポートレート写真を見たとき、ペンの写真は現在時点が写っていて揺らぎがないように感じ、一方、アベドンのポートレートには被写体になった人々が抱える悲しみのようなものが見えた気がしました。ペンのように、ピンポイントで現在時点を切り取ると、そこには死神の入り込む余地がないのですが、アベドンは人生を写し込んでしまったから、皆誰もが抱いている死への恐怖までもが、そこに写り込んでしまったのではないかと思ったんです。大谷津さんも「流動的でより感覚的にそれらを固形化」する中で、揺らぎを閉じ込めているように思いました。
〈大谷津〉「死神の入り込む余地がない」という言葉はなんだかいいですね。絵が揺らいで見える、というのは初めて言われました。自分の中では結構、まだまだ固い形になっているように思いますが現在時点を切り取るという「断固としてここから見たこの形でなければならない」という意識はたしかに無いですね。前の質問で答えたことと重複しますが、絵の具が乾いていないうちはどんな形にもなりうるということ、女性の顔を描いていたのに男性の顔になったり、花の形が別の形に見えてきたり、絵画という2次元の中に4次元を表出させようという意識はないのですが、そのものの、その対象の形態や正確な陰影を追っても描けないものがあり、前田さんの言う「死」を描くことはできません。ある形は見るところが違えば全く違うものに見えることがあり、人間や、プラスチックでできた物も、動物も、いつかこの世に生まれていつか必ず朽ちる形です。肉体が証明してくれることは少なく、間違えた記憶でも、もう思い出せないことでも、過ぎた時間、まばたきしていたら終わっていることの中に形が存在している原因がある、ということをもしかしたら無意識に意識しているのかもしれません。しっかり描いてあるところとほとんど絵の具の乗っていないところ、描かないで描くことで形の不確かさ、肉体の曖昧さ、「死神の入り込む余地」というのを求めているのかもしれません。
――いや、別に「死神の入り込む余地」はなくてもいいんですけれど(笑)。先に詩の話ばかりしてしまいますが、詩人ではどなたがお好きですか。
〈大谷津〉最果タヒさんとか……。実は詩は書いても、あまり読まないんですよね、お薦めがあれば教えてほしいです。
――最果タヒさんの詩のどんなところに惹かれますか。
〈大谷津〉気持ちを記号に変換して電波に乗せてやりとりすることが当たり前になった現代の、言葉を必要としているのか、してないのかわからない中で、どこかに必ずある肌触り、実感みたいなものを逃さないようにしようとするけど、でも痛い、っていう現代独特の冷たい痛みを、軽い身のこなしで表現している感じが、かっこいーって思いますね。あんな詩を書きたいです。
――「現代独特の冷たい痛み」って、そういう目で改めて見ると、大谷津さんの絵画作品の中にも、同様のものが表現されているように思います。同じように言葉を扱うジャンルとして、小説の方はいかがですか。お好きな作家がいたら上げてください。
〈大谷津〉ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」は一番好きな本です。まだこの本は半分も理解できてはいませんけどね。ジャック・ロンドンの「犬物語」という短編集も大好きです。
――「存在の耐えられない軽さ」は1968年のプラハの春を背景として書いたものですね。8月にソ連と東独軍がチェコスロバキアに侵攻して武力弾圧を行いました。状況は違いますが、いまのロシアがウクライナに侵攻していることをつい思い浮かべてしまいます。読み始めると恋愛の話かなと思いきや、まるで存在意義についての哲学書を読んでいるような気になる、とても重層的な作品です。この話を追及してゆくと、深みに嵌って先に進めなくなりそうなので、このあたりで止めますが……(笑)。ジャック・ロンドンは、これでもかっていうリアリズムで、ぐいぐい押してきて魅力的です。大谷津さんは長い文章は書かれないのでしょうか。
〈大谷津〉ショートショートを書いたことはあります。長い文章を紡ぐのはとても体力を使うみたいで、物語がないと表現できないことを思いついてしまったときは長めの文章を書いたりしますが、たぶん頭が悪いので、詩くらい短い方がつくりやすいです。一瞬で過ぎる何かを固定化する作業においては、詩っていう形式が合っているのだとは思います。

■大学では今井俊介氏に師事

――では絵画制作に話を戻しますね(笑)。いつ頃から絵に興味を持たれたのでしょうか。
〈大谷津〉小さい時から絵を描いたり工作するのは好きでしたが、自分は絵が好きかもしれないと思ったのは中学生の時です。
――どんな子ども時代だったのでしょう。
〈大谷津〉自分から見た子どもの頃っていうことになりますけれど、基本的にはおとなしい子どもだけど、キレると物を壊したり人を傷つけたり、授業中にトイレでアニメを見ていたり、大人を煩わせる子どもだったと思います。勉強もまったくできませんでした。そんな感じなので友達もあまりいなかったですが、ひとりで何かしているときの方が好きでした。
――それでは好きな学科、嫌いな学科は?
〈大谷津〉学科で特に好き嫌いはないです。各々で好きにやればいいと思いますね。
――自分の性格を分析すると?
〈大谷津〉カッとなってガッてなる性格です。
――わかるような、わからないような……。それでは、好きなことは?
〈大谷津〉ハムスターの匂いを嗅ぐことです。
――いいですね、動物の匂い。以前オカメインコを飼っていたことがあるのですが、オカメは香ばしいような、日向の匂いがしていました。動物の匂いってほっとしますね。では嫌いなことは?
〈大谷津〉監視されることが嫌いです。
――中学生のときに絵が好きかもと思った、とのことですが、何かきっかけがあったのでしょうか。
〈大谷津〉特に人よりできることがなく、勉強もせず、ぼーっとしている子どもだったのですが中学生のときの美術の授業で、先生に褒められたことがきっかけです。褒められたことが嬉しかったのもありますが、手を動かすのも楽しかったんでしょうね。そのときの美術の先生にはたくさん迷惑をかけて、とてもお世話になりました。いまでもその先生とは手紙のやりとりをしています。
――美術大学の入学試験を受けるにあたり、絵画の予備校には通われましたか?
〈大谷津〉はい、地元(宇都宮市)の予備校に通っていました。
――武蔵野美術大学の油絵学科を選ばれたのはなぜでしょう。よく、芸大は受かるけど武蔵美だったら落ちるとか、多摩美ならいいけど、芸大はダメだとか、一般の大学入試と違って、それぞれの学校で、合格しやすい作風があるように言われていますが……。
〈大谷津〉そうですね。いまはどうかわかりませんけど武蔵美はモチーフを大きく加工せず描く方が受かるイメージで、多摩美は発想力が重要で、芸大は個人を見る、っていう感じですかね。そういう話でいうと私は武蔵美に受かりやすいタイプかと思います。芸大に落ちて、他にも受かった大学はあったのですが、芸大じゃないならどこでも良かったので、予備校の知り合いがあまり行っていなかったから武蔵美に行きました。
――大学時代はいかがでしたか? 楽しかった? つまらなかった?
〈大谷津〉人が多くてちょっと騒々しいところでしたけれど、友達と夜中まであったかい飲み物を飲みながら駄弁る時間は心地よかったですね。
――影響を受けた先生はいましたか?
〈大谷津〉今井俊介先生にはお世話になったというか、影響を受けるというか、いまでもいろんな相談に乗ってもらっています。
――今井俊介さんはポップで“抽象的な具象画”を描く作家ですよね。大谷津さんの作風とはまるで逆の方向を行っているような気がします。どのような影響を受けているのでしょう。もし可能なら具体的に教えてください。
〈大谷津〉自分の作品に影響を受けるというより、制作するときの立ち方とか、ペースの保ち方とかをよく話します。先生、というより、失礼かもしれませんが友達のような感覚です。飲みながらいまの美術の話とか、今井先生が好きな爬虫類の話を延々と聞かされたりとか。私がまだ経験していないことを聞けるところは、先生だな、と思ったりします。
――他の作家で興味のある方はいらっしゃいますか。
〈大谷津〉好きな作家は、今井麗、アレックス・カッツ、セザンヌ、李禹煥、辰野登恵子、トーマス・デマンドです。
――実に作風がバラバラですね(笑)。今井麗やアレックス・カッツとは、通じるところがあるのはわかりますが……ご自身とはまったく違うから好きだということもあるのでしょうね。
〈大谷津〉今井麗さんの作品を見た時は感動しました、誰の家にもあるような人形や果物をあんなにフレッシュに描ける技術とそのモチーフを堂々と画面に入れる構成、生活の中にある目立たないものをすくい上げて描くその素朴さには勇気をもらえますし、でもまあそういうことは置いておいてシンプルに家に飾りたいですね。

■ただの絵の具が、形や色や影になる

――制作は油絵がほとんどなのでしょうか。ドローイングなども描かれますか。
〈大谷津〉主に油絵ですが、そのへんのボールペンで紙にドローイングもよくします。(一緒に)詩を描いたりもしています。
――絵画制作のテーマはなんでしょうか。いろいろ変わると思いますが、現在のテーマを聞かせてください。あるいは、以前はこういうテーマを追求していたけれど、いまはこれを追求しているといったようなことでも構いません。
〈大谷津〉なんでしょう。何かをつくることそのものが私にとって重要ですね。前の質問でも言ったように”必ずこういったものをつくる”というのは描く前にはありません。大抵その通りにならないので、真っ白なキャンバスに最初の絵の具を選んで、筆を選んで線を引いて何かの形になってゆくことってすごく不思議なことだと思います。ただの絵の具が形や色や影になるのを見たいというテーマ、というより欲求があります。カドミウムレッドという名前の絵の具が、キャンバスの中でりんごやセーターや瞳の血管になる、それが誰かを感動させたりする。人や花など、誰でも解るモチーフを選ぶことで、そのものの形を改めて解釈して、壊して、組み立て直すという行為が目立って面白くなるんじゃないかなども考えます。人を描きたい、というより人の形を使って新しい形、私にとっての本当の肉体、正しい形を生むことを求めているのかもしれません。
――対象物をじっくりと見て描くのでしょうか。
〈大谷津〉描くときにモチーフは選びますが、何も見ずに描くこともあります。それを悪い軽さだと思っていたときもありましたが、線一本でも魂を込めて描くとなぜかただの線じゃなくなったり、丁寧に描いた線が案外つまらない線だったりするように作品が作品として起き上がるときを選ぶことは難しいと思っています。“人生絵画一本!”みたいな熱い気持ちを持っていたときもあるし、そうでなければならない気がしていた時もありましたが、いまは生活の中に制作があって、私たちは作品をつくるためだけに生まれてきたわけではないから、寝て、食べて、遊んで、つくったり、つくらなかったりでいいと思っています。
――具象と抽象、あるいはコンセプチュアルアートなど、思い付くまま、思っていることを聞かせてください。
〈大谷津〉アートについてという質問であれば、なかなか変な世界だなと思います。歴史的に名のある作品は一見良さが解らず、その作品の内側やコンセプトを調べてようやく面白がれます。それはその道の人間にとっての凄みであって、週5日、毎日電車で会社に行って働く人にとっては超どうでもいいことなんだよなぁと思ったりします。ほとんどの人にとってどうでもいいことを真剣にやることの後ろめたさと戦いつつ、ああでもないこうでもないと言ったり言われたりする世界です。普通に面倒くさいなあと思うことが多いですが、結局ずっと考えつづけることができるのは、美しさや醜さの話なので、そういった俗世へのコンプレックスはずっと持ち続けることが必要だとも思います。
――絵画の制作中に、音楽はかけていますか?
〈大谷津〉はい。宇多田ヒカルと、あとは適当にアガる曲を流しています。
――映画などはいかがでしょう。お薦めはありますか。
〈大谷津〉「SE7EN(セブン)」と、それとは対極の作品ですけど「ヒックとドラゴン」です。これは子ども向けのアニメ映画なんですけれど、中学生の時からいまでも定期的に見ます。なんで好きなのか自分でもよくわかってないんですけれど。
――「SE7EN(セブン)」って、ブラッド・ピットが刑事役の猟奇殺人事件を描いた作品ですね。ラストがなんとも言えません……。「ヒックとドラゴン」は観たことがないのですが、冒険と友情の話なんですか?
〈大谷津〉「SE7EN」はラストが結構、好き嫌いが別れそうですが私は好きですね。私も映画どおりの行動を取ると思います(笑)けど、ちゃんと生きよう、と思えたりもします。「ヒックとドラゴン」はそうですね、勇気と友情、冒険ですね。この映画が好きって言うのは正直恥ずかしいんですけど、なんでかいつ観てもわくわくするんですよね、小さい頃の気持ちが蘇ると言うか、相棒と一緒なら空を飛べる、ってところに何かロマンを感じるのかもしれないですね……。

■制作にどうしても必要な定番の7色

――制作は決まった時間にされているのでしょうか。さしつかえない範囲で生活パターンを教えてください。
〈大谷津〉基本、仕事が終わった17時とかに描き始めます、一日空いてる日であれば昼ごろから描いています。ちゃんと豆から挽いてコーヒーを淹れるとなんとなくやる気になるので、大して飲む気がなくても淹れてから描き始めることが多いです。
――ちなみにコーヒー豆はどちらの豆がお好きですか?
〈大谷津〉マンデリンは優しい味で好きですね。
――制作において、一番こだわっていることはどんなことでしょうか。
〈大谷津〉面倒くさいことを続ける工夫をすることです。道具をできるだけ綺麗に保つとか、手入れをして定位置に戻すとか、こまめに掃除するとか、描く時間を決めるとか。制作以外の生活面でも、今日は何時に寝るとかお風呂あがりにストレッチするとか、ちゃんと外で遊ぶとか映画を観て泣くとか。私はとてつもなく面倒くさがりなのでそうしないと廃れて、家に引きこもってしまうので、一番気を遣っていることです。制作とは関係ないことでも、まずは己が豊かであったり、痛い時にちゃんと痛がったり、嬉しいときにちゃんと喜ぶということは最終的には作品に繋がる、馬鹿にならないことだと思っています。
――キャンバスや絵の具で、いつも使っているもの(これは欠かせない、という銘柄)を教えてください。
〈大谷津〉ウルトラマリンブルー、ローズマダー、イエローオーカー、バーントシェンナ、パーマネントイエロー、ベージュ、シナバーグリーンライトで主に描いています。いつも決まったこの7色を使うので、なくなったら描けません。
――スケッチなどに行かれたりすることはありますか?
〈大谷津〉スケッチしよう!って外に出かけることはないです。常に小さなノートを持ち歩いているので、たまにそこに絵を書いたり、詩を書いたりしています。
――今後やってみたいことを教えてください。世界旅行でもなんでもいいです。
〈大谷津〉豪遊です(笑)。
――いいですね!「華麗なるギャツビー」を書いたF・スコット・フィッツジェラルドを思い浮かべてしまいました。奥さんのゼルダと社交界で羽目を外して……。コロナ禍でどうしても気持ちが萎縮しがちな中、「豪遊」はすごくいいと思います。では最後に、作品展をご覧になった方に、メッセージをお願いします。
〈大谷津〉わざわざ足を運んでくださりありがとうございます。コーヒーでも飲んで、ゆっくりしていってください。

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