MATSURICA 作品展
Hazy World
2024.12.14[土]- 2025.1.22[水]
【第31回】MATSURICA
2001年に茨城県立取手松陽高等学校美術科(日本画専攻)卒業後、独学でデジタルアートを習得。20歳でイラストレーターとして独立後、クライアントワークを中心に行う。2007年に関東、関西の2画廊にて作品の委託販売が始まり、画家としてオオカミとカラスの旅をテーマとしたの作品を描き続ける。現在は制作活動をしながら本の装丁画などのクライアントワークを併行して活動中。
【近年の個展】
●2017年:新宿ヒルトンホテルにて岡田尚子の全作品展
●2016年:渋谷BUNKAMURA GALLERY にて展示
●2014年:横浜赤れんが倉庫にて岡田尚子10周年記念個展
(※マツリカは2021年に旧姓名:岡田尚子からアーティスト名を変更致しました。)
【主な受賞歴】
●2021年:画集The hidden forestが海外のベストパッケージデザイン賞受賞
●2008年:第8回インターナショナル・イラストレーション・コンペティション/奨励賞
●2008年:アジアデジタルアート大賞2008/優秀賞。
●2006年:第6回インターナショナルイラストレーション・コンペティション/ ベスト・イン・リアリスティック賞
●2005年:サーティファイグランプリ2005(デジタルアート部門)/最優秀賞
とむらい日和
Funny monsters in me
Ice Mermaid
【見どころ】
絵画作品ばかりではなく、本の装丁などでも活躍するMATSURICAさん。小説『播磨国妖綺譚』や『夜去り川』、『ハサウェイ・ジョウンズの恋』など、幻想的な装丁画がまず読者の目を捉えます。どれも静謐さに満ち、見るほどに異次元空間に引き込まれ、つい本を手にしたくなります。まさに表紙の絵の効果といえるでしょう。今回の作品展のタイトルは「Hazy World」。Hazyとはかすんでいる、という意味ですが、深い霧の中で展開する不思議な世界が皆さまの心に静かに忍び寄り、いつしかすっぽり包んでしまうのではないでしょうか。迷子になったヘンゼルとグレーテルのように、しばし時を忘れて森の奥の迷宮世界をお愉しみください。
(インタビュアー 株式会社サンポスト 前田 敏之)
■日本画家、川端龍子の「草炎」に魅了される。
――お生まれはどちらでしょうか。
〈MATSURICA(以下、M)〉生まれは大阪府豊中市で、育ちは茨城県つくばみらい市です。
――作品にはオオカミをはじめ、鳥や花や木や草など、自然の風物がたくさん登場しますが、子どもの頃から自然はお好きでしたか?
〈M〉虫や動物が好きで、生き物の観察に明け暮れていました。好奇心の塊のような子どもで、とにかく色々なものを見たがり、そしてやりたがりました。後先は考えないので失敗も多く、大人にもよく怒られていましたが、衝動を抑えることはできませんでした。
――田園でオタマジャクシやザリガニを捕まえて家で飼ったりされましたか?
〈M〉お察しの通り、周りは田んぼだらけでしたので、ザリガニもオタマジャクシもたくさん捕まえました。
――ちなみにお好きな学科、嫌いな学科はどれでしょう。
〈M〉図工と理科が好きでした。それ以外は体育も含め、すべて大嫌いでした。
――すべて大嫌い、というのはかえって潔いですね(笑)。
〈M〉小学生のころから描くことだけは得意で、自分の方向性はこちら以外に思いつきませんでした。ただ、画家になりたいなどとは考えたこともなく、自分の特技を活かした仕事に就くのだろうと思っていましたが、それもぼんやりとしていました。それで、高校は美術科(日本画専攻)に進みました。
――そもそも日本画を専攻したあたりから、現在の作風に繋がっているのですね。
〈M〉繊細な線・色・透明感が好きだったんです。面相筆で緻密に描き、下の色を完全に消し去ることなく重ねられて、水で淡くぼかしていくような表現が好きでした。
――学生時代に、この作家に影響を受けたといったようなことはありますか。
〈M〉高校2年生のときでした。学校にあった画集で川端龍子の「草炎」を見たときに、目が釘付けになったことをよく覚えています。
――「草炎」は、1930年に川端龍子が庭の雑草を六曲一双の大画面に描いたものですね。闇夜に黄金色の雑草が浮かび上がる様は、神秘的で荘厳な雰囲気を湛えています。その神秘性はMATSURICAさんの作品にも繋がるように思います。
〈M〉絵画を見て心が震えるという経験はそれが初めてかもしれません。また、自分もこんな表現がもしできたなら……と、絵描きのイメージがふとよぎったのもこのときかもしれませんが、まだまだ具体的な感覚はありませんでした。
――他の作家でお好きな方、衝撃を受けた方はいらっしゃいますか。
〈M〉パウル・クレー、マーク・ライデン、大岩オスカール、それからアニメーション作家のユーリ・ノルシュティンの世界観にはかなり影響を受け続けています。
――確かに大岩オスカールやユーリ・ノルシュティンの世界は、MATSURICAさんに通じるものがありますね。ただ、マーク・ライデンは残酷でシュールだし、パウル・クレーはまったく違って面白いです。それぞれどんなところがお好きなのでしょうか。
〈M〉全く違いますかね?(笑)私の中では通づるものが多いなと思っているのですが・・。言葉では表現しにくいのですが、美しさの中に散りばめられた悲しみや狂気というか。パウル・クレーは実際にスイスのパウルクレー・センターまで観にいったのですが、無邪気さと侘しさが同居するような雰囲気に今も魅せられます。
――卒業後、独学でデジタルアートを習得されたとのこと。日本画から急にデジタル、というのも、ずいぶんかけ離れているように思えるのですが、そこに至る経緯を教えてください。
〈M〉その頃はまだデジタルでアートを表現する人が少なかったのですが、両親にMacを購入してもらったのがきっかけでした。絵の具とは違い光を使って絵を描いていくわけですが、色の透明感、繊細な描写、淡いぼかしなど、画材との相性の良さを心から実感しました。これなら描けるという、何か確信のようなものがあったことを記憶しています。
――独学で習得ということは、まずベースとしてパソコンの知識がかなりあったのでしょうか。
〈M〉ほとんどありませんでしたが、マシンを使う作業は好きでした。
――それはすごい! Macを使って最初に描いたのはなんだったのでしょうか。
〈M〉たぶん森だったかと思いますが、よく覚えていません(笑)。先駆者も少なくお手本がなかったのですが、デジタルの特性が本当に肌に合って、イメージは次々に形になっていきました。
■一度鉛筆で描き、水彩やアクリル画にしてからパソコンへ。
――イラストレーションの仕事を始められたのはいつですか。
〈M〉20歳のときです。Web制作会社でアルバイトはしたことがありますが、社会人経験はほぼありません。イラストレーター業は、不思議とすぐにとんとん拍子で仕事が入ってくるようになったのですが、あまりにも多くの発注が来たために体を壊したこともあり、その後は画家業に比重を乗せて活動してきました。
――新人で、しかもどんどん仕事が来たということは、最初からかなりの技術があったのではないかと思います。プロモーション活動もされたのでしょうか。
〈M〉その頃はいまのようにインターネットで簡単にプロモーションできる時代ではありませんでしたので、電話をして、アポを取って、会いに行きました。いまは企業側もインターネットで簡単にイラストレーターを探せるけれど、そこ頃はどの会社もなかなか都合良く「描いてくれる人」に出会えなかったようで、重宝がられました。
――画家業に比重を移すと、収入が減って困ったり、といったことはありませんでしたか。
〈M〉体調を崩したと同時に膠原病の難病も抱えてしまいまして、24歳の頃2ヵ月ほど入院していました。それは人生で初めての挫折というか、すべて心機一転の0からのスタートとなりましたが、作品を取り扱っていただけるギャラリーもすぐに決まり、作家:岡田尚子(旧名)としてデビューした過去があります。
――困ったときに周囲から手を差し伸べてもらえるのは人徳だと思いますし、それだけ実力があったということですね。コンペでも、2005年:サーティファイグランプリ2005(デジタルアート部門)最優秀賞をはじめ、いろんな賞を受賞されています。一番印象深かったのはどれでしょう。
〈M〉どれも若いときに受賞したもので、あまり記憶にない(笑)のですが、受賞したことで、自分が何者かになれるのではないかという期待に溢れていましたね。
――受賞は励みになりますね。仕事で印象的だったことはありますか? この仕事がたいへん面白かったといったような。
〈M〉本の装丁の仕事が大好きです。作家さんの大切な世界に、私の手が入ることに、いつも恐れ多い気持ちでいっぱいなのですが、その分やりがいがあり、緊張感を持って挑んでいます(装丁のお仕事お待ちしております・笑)。
――装丁画の仕事で、『夜去り川』は志水辰夫さんの小説ですが、本の装丁などの場合、小説を読んでから描かれるのでしょうか。
〈M〉もちろん読んでから描きますが、『夜去り川』はすでに描き上げた作品が使用されました。
――制作手順をさしつかえない範囲で詳しく教えてください。紙にスケッチをされたりすることもあるのでしょうか。
〈M〉一度紙に描くことは多いです。まだぼんやりとしている段階の時は、鉛筆の方が、具合がいいです。その後すぐにデジタルに移行しますが、最近は水彩・アクリル画に移行して詳細に描き出してから、デジタルに取り込むことが増えました。デジタルだけで仕上げるとどうしても硬く直線的な質感になってしまうのですが、そこに手描きの要素を加えることで揺らぎや曖昧さをプラスしています。
――MATSURICAさんの作品を初めて見たとき、クールであると同時に、包まれるような優しさを感じたのですが、それは手描きの要素があるからなのかもしれないですね。
〈M〉優しさについては時々そんな風に感じていただくことがあるのですが、自分ではあまり意識はしていません。ただ、絵の中に登場する愛おしい生き物たちが、絵の中で幸せであってほしいという気持ち強いので、その感覚が伝わるのかもしれません。
――仕事の道具で、欠かせないものはなんでしょうか。パソコンのこのソフトはないと困る、といったような。
〈M〉ソフトはPhotoshopを使用しています。一時はモニター3台と巨大な液晶タブレットで製作していたのですが、今は少しでもシンプルに製作したいと思っていて、iMac1台と小さな液タブがあれば十分です。
■昔は旅が好きだった。でもいまは家が大好き。
――ところでMATSURICAさんというお名前は、どういった経緯でつけられたのでしょうか。
〈M〉元々岡田尚子という本名で活動していましたが、子どもを産み、少し製作から離れた時期がありました。少しずつ再開するにあたり、様々な気持ちの変化がありました。長くお世話になったギャラリーさんとお別れをし、名前を変えて活動していこうと決めました。また、24歳のあの時のような、0からのスタートです。娘には大輪の美しい花の名前をつけたので、私も花の名前にしようと思いまして。マツリカはジャスミンのことですが、単にジャスミンが好きということと、その響きが素敵だなと思いました。深い理由は特にありません。
――いいお名前ですね。ところで、絵画以外の芸術分野で、お好きなものはなんでしょうか。
〈M〉芸術分野ですと、昔から絵本が好きです。レオレノニのスイミー、エリックカールのはらぺこあおむし、最近はジョン・クラッセンのシュールな絵本も大好きです。自由な構図、発想、これこそがアートだと感じますし、憧れます。いつか絵本を出すのが夢ですが、その筋の才能が無いのか思うように進まず・・・この夢については焦らずゆっくりと進めていきたいと思っています。
――では、芸術以外でお好きなものは……。
〈M〉旅が、本当に好きでした。
――過去形なんですね(笑)。
〈M〉はい(笑)。好奇心旺盛なので、行ってみたい!という気持ちに歯止めがかからなかったのです。ただ、娘が生まれてからはその気持ちに蓋をして、いつか娘と一緒に再開ができたらいいなと思っています。ただ、好奇心って体力と比例しているようなところがあるというか……最近は家が大好きです。
――いままで行かれた中で、とくに印象的だった場所はどちらでしょう。
〈M〉また行きたい国はスイスです。すべての自然に圧倒されました。
――いまは家が大好きとのこと。大好きな家にするために、工夫しているようなことはありますか?(たとえば、食器にこだわって食卓を充実させる、など)
〈M〉庭でしょうか。暗い森で魔女のように暮らすことが夢だったのですが、4年前に小さな森を買い、真ん中に家を建てました。いま大きな木々に包まれながら、地に足を付けて、のんびりと暮らしています。その森のような庭は維持もなかなか大変で、毎週末は庭の手入れに勤しみます。薪ストーブがあるので、薪割りもします。
――素晴らしい! プライベートな話になってしまうのですが、うちの狭い庭に山法師の木があり、そこに土鳩が巣をつくり、下からは葉が邪魔して見えないのですが、2階のベランダからかろうじて見ることができまして、見ていたら卵を産み、雄雌交代で温め、2羽の雛がかえり、それが無事に育って先日巣立ちしました。本当に狭い庭でも生命の誕生を見ることができるのですから、森だったらさらにワクワクしてしまいそうです。お子さんにとってもとてもいい環境ですね。
〈M〉庭に生き物が棲んでいるっていいですよね! 共生感があって。
――毎日の生活で、特に気をつけていることはありますか。
〈M〉幼い頃自律神経失調症だったこともあり、どうやら自律神経が乱れやすいようで、最近はできるだけ心を整えるように気をつけています。香り、音、温度などを心地よい状態にして、感覚をニュートラルにするための工夫をしています。あとは、大好きな動物にたくさん触れることも心の平穏に繋がります。
――動物はなにか飼われていますか?
〈M〉猫2匹と鶏2羽、リクガメを1匹飼っていまして、その世話が趣味のようになっています。本当は無類の犬好きなのですが(オオカミを20年描き続けるほどに)娘の犬アレルギーが発覚してしまい、いまは猫・鶏・亀ライフを楽しんでいます。娘もやっと一人で庭に行ける年齢になってきて、鶏をよく追い回して遊んでいます。抱っこさせてくれないと泣いて帰ってきます(笑)。
――うちでも犬(マルチーズ)と鳥(オカメインコとセキセイインコ)を飼っていたのですが、いまはみな亡くなってしまいました。動物が身近にいないと、生活に穴が開いたように思いますね。でも、猫・鳥・亀って、それぞれ喧嘩しそうですが、だいじょうぶなんでしょうか(笑)。
〈M〉猫は家、鶏は外、亀は、夏は外で冬は家で冬眠します。それぞれあまり接点がありません(笑)。
――将来、これをやってみたい、というようなことはありますか?
〈M〉実はやりたいことは一通りやってきてしまって、いまあまり思いつかないのです。娘が大きくなって巣立ったら、また夫と色々な国を旅できたらいいなと思っています。フィンランドでオーロラを見たり、ニュージーランドで星を見たり。そして変わらずに絵を描き続けていきたいです。
――365カフェで作品をご覧になった方へメッセージをお願いします。
〈M〉インタビューを最後までお読みいただきありがとうございます。20年という歳月をかけて、1匹の狼と一羽のカラスの旅路を描き続けています。そして、どうやらこの先も描き続けていくのだと思います。もし私の作品が心に残ることがありましたら、どうぞこれからも彼らの旅路を見守っていただけたら幸いです。
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