濵田 千晴 作品展
不安定ナ場所デ見ル夢
2024.5.24[金]-6.26[水]
(Photo by TOKYO TENDER TABLE)
【プロフィール】
日本画家。1994年鹿児島県生まれ。2017年武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒業。2019年同大学院修了。知りたくとも簡単には理解できないもの、を理解しようとする過程をテーマに作品制作を続ける。2020年3月より《岩舟ヲ理解スル為ノ儀式》の制作をスタートさせる。2023年3月美学校修了。
【主な展示歴】
2016年 ジ・アートフェア+プリュスーウルトラ2016(スパイラルガーデン/表参道)
2017年 個展(ぎゃらりぃ朋/銀座)
UMARTs2017(馬の博物館/横浜)
2018年 JART8TH Japanese Emerging Artists Exhibition(WAH CENTER/NY)
第四回石本正日本画大賞展(浜田市立石正美術館/島根)
2020年 彼処(東京九段耀画廊/市ヶ谷)
2023年 個展(GALERIE PARIS/横浜)
【主な受賞歴】
2017年 平成28年度 武蔵野美術大学卒業制作 優秀賞受賞
公益財団法人佐藤国際育英財団第27期奨学生となる
2019年 平成30年度 武蔵野美術大学修了制作 優秀賞受賞
《岩舟ヲ理解スル為ノ儀式》一部
(Photo by TOKYO TENDER TABLE)
2体ノ人形
ステージ上の人魚
思考の坩堝
【見どころ】
一つの作品には、作者が込めた思いなどが詰まっているものですが、その思いというか、実は小さな作品であっても情報量がものすごく多くて、一度ではわからず、二度三度見てもわからず、何度も見返してしまう。そして優れた文学作品のように、読み返す度に新たな発見に驚かされる。濵田千晴さんの作品を形容するなら、そんなふうになるのではないでしょうか。しかもその作品は、現在、過去、未来といった時間の流れはもとより、現実と夢、身体の内側と外側など、さまざまな時空を、軽やかに、縦横無尽に飛翔しているように思えるのです。岩舟(天から降りてくるときに神が乗る舟)をテーマに作品制作をしたこともあるという濵田さん。その制作の秘密に迫ります。
(インタビュアー 株式会社サンポスト 前田敏之)
■ 子どもの頃は秘密基地を作って遊んだ。
――作品には「時間の流れ」というか「記憶」というか、そういった要素も強く感じられるのですが、濵田さんの原点は、鹿児島のどちらなのでしょうか。
〈濵田〉生まれは南さつま市(旧加世田市)です。転勤族でしたので鹿児島県内の色々なところに行きました。子どもの頃は大隈半島の鹿屋市や沖永良部島にも住んでいました。今は鹿児島市に実家があります。
――どんなふうに過ごしていましたか?
〈濵田〉幼稚園の年長ぐらいのときはスポーツ選手になりたかった記憶があります。小さい頃から運動神経はそれほどでもなかったのですが、2000年のオリンピックで高橋尚子選手が走っている光景が印象に残っており、目立ちたくて夢に書いた記憶があります。
――シドニーオリンピックですね。あのときの高橋尚子選手は、軽々と走る姿が実に楽しそうで素敵でした。走ることって楽しいんだって映像から伝わってきて、私自身も走ってみたくなりました。が、一週間後の男子マラソンを見たら、みんな苦しそうで……(笑)。
〈濵田〉その頃、通っていた小学校の校庭や敷地内で黒い布に白いお面を被った高橋尚子選手に追いかけられた夢を一度見たのですが、とても怖かったです。今回そちらも小作品の一つとして展示しております。
マラソン選手に追いかけられて
――確かに見るほどに、妙にじわりと恐ろしさが伝わってきます(笑)。これは当時の夢をずっと覚えていて、最近になって表現したということでしょうか。それとも、「高橋選手に追いかけられた夢」というキーワードから連想されてこのような形になったのでしょうか。
〈濵田〉そうですね。当時の夢をずっと覚えていて最近になって表現したものです。とはいえ長い年月が経っているので私の記憶の中で脚色され夢に記憶は変化していったと思います。
――ほかにはどんな思い出がありますか?
〈濵田〉最初に通っていた加世田市の小学校は学内にコンクリートでできた地下空間のアスレチックがあり、放課後そこに隠れてみたり、大きな木の上の登ったところに、秘密基地を作ってみたり、防空壕で遊んだり。空き地の土を掘って秘密基地を作ろうとしたこともあります。とりあえず色々なところに子どもだけの空間を求めて秘密基地を作っていました。
――それ、よくわかります。私も土を掘って住処を作るのが好きでした。近所の崖に穴を掘って中に茣蓙を敷いたりして。誕生日のプレゼントに、スコップを買ってもらったこともあります(すみません余談でした)。濵田さんが、隠れ場所というか、空間を作っていたというのは、今に繋がっている気がします。
〈濵田〉そうかもしれません。鹿屋市の小学校に転校後は、鹿児島では珍しく私服の小学校でした。お昼のピーコのファッションチェックを見ているうちにファッションデザイナーになりたいなと思っていました。誕生日に買ってもらった布で友達と洋服を作り、それを着て畳の部屋で芸人さんの真似事をしていた気がします。それから実家が家を建てるにあたり住宅展示場によく行っていた頃は、インテリアデザイナーになりたいなと思っていました。誕生日に買ってもらった空柄の布を自分の勉強机の下に張り巡らし、私だけが入れる秘密基地を作っていました。
――やはりここでも秘密基地! 学校の勉強で好きだった科目はなんでしょう。
〈濵田〉高校時代好きだった学科でいうと日本史です。日本史でフェノロサと岡倉天心の法隆寺夢殿救世観音像開扉事件を学び印象に残りました。
――それはすごい、というか、よく印象に残りましたね。無理やり開扉を迫って実現させた事件ですよね。
〈濵田〉この開扉事件が起こった時代は日本に美術という考えが入り、日本画という単語の発生時期や廃仏毀釈の頃と被ります。仏教物を美術として捉えるのか、使用される物は美術品に入るのか、偶像崇拝、非偶像崇拝とはなんぞや、日本画とはなんぞや、人の目に触れない物、展示されていない物は美術品なのかどうか、大学院ではそういった事をもう少し詳しく知りたいと思い改めて調べ始めました。
■ 高校時代のデッサン講習会で絵画と向き合う。
――歴史ではなく、アートの道に進まれたのはなぜでしょう。アートにはいつ頃から興味を持たれたのでしょうか。
〈濵田〉元々幼稚園の頃にはパソコンで絵を描いたり、お絵かき先生というおもちゃを使い、磁石で絵を描いていました。小学校に上がると秘密基地を作ったり粘土でミニチュアのご飯を作る事にハマったり洋服作りをしたり、小説や四コマ漫画を描いて公募ガイドから応募してみたりと色々なジャンルで作る事を楽しんでいました。本格的に美術と向き合い始めたのは高校2年生の夏休みに参加したデッサンの講習会からです。
――それはどういったものですか?
〈濵田〉高校時代、美術を学ぶ高校生の実技力向上を図る講習会があったのです。夏休みの一週間、鹿児島県中の美術を学びたい生徒が美術科のある高校に集まりデッサンを中心に学びます。東京から美大生が来て教えてくれたんです。私は高校のときに美術部に入りましたが、とはいえ熱心な部活動ではなく、行きたいときに行くと顧問がレコードプレーヤーで曲を流しており、淹れたてのコーヒーを出してくれました(笑)。
――素敵な部活ですね。コーヒーを飲みながら音楽を聴き、絵を描く……。夢のようです。
〈濵田〉年に1枚は、公募展に出品していました。印象的な出来事は高校2年の終わり頃、美術顧問から自宅に電話が来まして、中国に一週間程行ってみない? というのです。鹿児島市は中国湖南省の長沙市と姉妹都市の関係にあります。そういった経緯で毎年テーマごとに7名ほど生徒を集めて国際交流をしています。その年のテーマは美術でした。それで私にも連絡があり、行く事になりました。初めての海外で、長沙市では何泊かホームステイをして過ごしたり、美術高校や全寮制の高校に行ったり、美術館に行ったり、街並みも人もすべて新鮮でした。
――鹿児島はそういう文化交流が盛んというか進んでいるんですね。ところで、進学先を武蔵野美術大学に決めたのはなぜでしょう。
〈濵田〉高校の美術準備室に画集と植物が沢山あったんです。その中に武蔵野美術大学日本画学科の内田あぐり先生の画集がありました。空間を大きく使った絵画の展示方法や伸びやかな表現方法に憧れました。また高校2年の秋から画塾に通っていました。そこの塾長が3年の時に「君には時間もお金も無いのだから東京の美大に行きたいなら武蔵野美術大学か多摩美術大学のどちらかに絞りなさい」とおっしゃったので、美術準備室で見た内田あぐり先生の画集を思い出し、武蔵野美術大学を選びました。内田あぐり先生がいらっしゃるから武蔵野美術大学にしますと塾長に伝えたいところ、「先生を理由に大学を選ぶとは君は先生に感化されたいのか!」と怒られた記憶があります。
――えっ、ふつうは先生を理由に大学を選ぶんじゃないでしょうか。この先生に習いたいという……。
〈濵田〉面白い塾長なんです(笑)。日本画を選んだのは、基礎をしっかり学びたいから、と思った記憶もあります。とはいえ大学受験のためのデッサンは、大学に入れば捨てろと言われる基礎です。私は東京の予備校で学ばず鹿児島の画塾で学んだという事もあり、いわゆる大手の予備校で今主流のデッサンとは少し違った物でした。結果として良かったなと思っています。
――大学時代はいかがでしたか。
〈濵田〉まだ誰も来ないアトリエで過ごす朝が好きで、自然光の中、窓を開けて空気を換気しながら制作する時間が好きでした。冬場は換気していると二番目にアトリエに来た人が寒いと困っていました(笑)。
■空間全体をどう見せるかに意識を向ける。
――インスタレーションを始められたのは、武蔵野美大の大学院を出てからでしょうか。それとも大学在学中からですか?
〈濵田〉学部3年の終わり頃、初めてインスタレーションに取り組みました。とはいえ、それ以降、一度絵画単体の表現に戻りましたが。私の表現が、絵の見せ方の延長線上なのかインスタレーションなのかは微妙なところですが、3年のその制作以降、空間でどう絵を見せるのかを、より意識するようになりました。
――最初に手がけたインスタレーションは、どういったものだったのでしょうか。
〈濵田〉身体の一部が描かれた絹絵を空間に沢山吊るし、360度から見せる作品でした。日本画では絹に絵を描く技法があります。薄い絹に絵を描くので光に当てると透けるんです。絹一枚一枚に身体の一部を描き込んでいきました。足、心臓の血管、脳みそ、性器、人間の表情、髪の毛、一枚一枚違う部位を描き、遠目から見ると身体が折り重なる様に360度から見える様に吊るしました。光を内側に配置し、暗室で光を内包する様な作品にしました。人を一面から見て判断しないように、多面的に理解できるよう、自戒のつもりもあり多面的な身体表現を空間で行いました。日本画の棟に暗室があまり無く、普段イーゼルが入っているコンクリートの倉庫を使用しました。
――コンクリートの倉庫で展示というのは、清楚なイメージの日本画から離れて、実にアグレッシブに感じます。空間というと、寺の空間を意識されていると思うのですが、何かきっかけのようなものはあったのでしょうか。元々、高校時代に法隆寺夢殿救世観音像開扉事件に興味を持たれたくらいですから、お寺がお好きだったのかと思いますが……。
〈濵田〉大学院の1年の頃、高野山のお寺の宿坊に泊まりに行きました。その際、本堂での朝のお勤めに参加しました。本堂の密教の宇宙観を仏像、曼荼羅、壁画、掛け軸、様々な要素で総合的に表そうとする様に面白さを感じました。仏像やお供え物や火で奥の仏画が見えないところなども、美術館やギャラリーでの展示に慣れていた者としては面白いと思いました。お寺に収蔵されている秘宝は、外からわからないからこそ、想像力を発揮する可能性があると思うんです。
――確かにわからないから知りたい、見たいというのはありますね。
■ 岩舟の記憶が時を重ね、さらに美しく膨らんで。
〈濵田〉今も簡単に理解できないものを知ろうとする時の想像力に可能性を感じて表現を続けています。私にとって身近な、それが岩舟かなと思います。
――岩舟! いきなり古代SFっぽくなってきました(笑)。
〈濵田〉5歳の頃、妹と一緒に、祖父に近くの山に連れて行ってもらったことがあります。山の中を進むと木漏れ日が差し込む中で、木々に囲まれた大小の岩二艘の舟「岩舟」がありました。その情景は今でも印象に残っていますが、帰りの道すがら、祖父からここに来た事は秘密だと言われました。
――それは貴重な体験ですね。
〈濵田〉秘密だと言われたその情景は、それ以来、思い出す度に私の中で美化されていきました。13年経ち、高校3年の時に祖父が亡くなりました。祖父のお通夜で、岩舟の秘密は時効かなと思った私は、その場にいた人に岩舟について話したところ。誰も岩舟を見た事は無かったんです。ただ帰宅後、妹に岩舟のことを話すと、懐かしいねと言ってくれました。他の誰も岩舟を見ていない事で、私の中の記憶は、余計に美化されていった様に思います。そして大学生の頃、岩舟が地元の七不思議の一つであると知り、場所を簡単に示した地図も手に入れました。祖父の七回忌で地元に帰った私は、岩舟探しに山に入りましたが見つかりませんでした。岩舟が見つからない事にどこかで安心した私がいて、私の中の岩舟は見つからない事により、余計に美化されていきました。
――桃源郷を探しに山に入った旅人のようです。
〈濵田〉しかし、最近になって岩舟がGoogle map上に場所が示してある事を知ったんです。学生の頃に岩舟を探しに山に入った時は、まだGoogle map上には存在していなかったのに。mapに載っていることを知った際、ワクワクと絶望が一緒に訪れました。あの時見た記憶の中の岩舟は、23年の中で脚色に脚色を重ね美しいものになり、岩舟について考えながら手を動かした絵も、私にとっては岩舟の記憶と繋がりのある物に感じられました。その岩舟をテーマに制作したものが昨年夏(2023年)の個展の作品です。
――Google mapは罪ですね! 便利でよく利用しますけれど。
■ 夢日記をつけて作品制作に活かす。
――2019年に武蔵野美大の大学院を卒業されて、自宅のアトリエで3年かけて回廊的作品を手がけたとのことですが、もう少し詳しく教えてください。
〈濵田〉前から取り組みたい内容でしたが、コロナによる緊急事態宣言が大きなきっかけとなりました。自宅に籠もり、人に見せる事を意識せずに行う制作がとても嬉しかったです。
――普段は常に作品を見る側、観客を意識していますものね。それから解放されて自由に制作ができたわけですね。
〈濵田〉そうですね。観客を意識し過ぎるのは常に余り良くないとは思っていますが。自分一人でのインスタレーションを意識した絵画制作は行き詰まりを感じてきました。途中途中でカメラマンさんを呼んで撮影しながら作品を客観視する作業も行っていったのですが、まだまだ作品として美しくないと感じたのです。特に私は、日本画を基本ずっと学んできた中、空間の中でどう展示するのか、現代美術の知識や考え方、この二つが欠けているなと感じました。そこから私は、その二つを学べる場所を探しました。
――大学院を卒業された後で、美学校の現代美術と建築の講座に入学されたのは、そのためなんですね。昔は、それこそ美大より美学校の方が学べるという噂(というか実績?)がありましたが、入学前はどんなイメージで、実際はどうだったのでしょうか。
〈濵田〉知識不足で入学前は特にイメージもありませんでした。美学校紹介のホームページを見た際に具体的にコースが分かれていたので、自分が学びたいコースに通い始めたという感じです。コロナ禍で暫く美術の人達と関わる機会が減っていたため、入学後は美学校の自由な雰囲気に懐かしさを感じておりました。現代美術と建築を、それぞれ半年間学びました。
――先ほど、高橋尚子選手の夢の話が出ましたが、夢を作品に活かしたりすることはありますか? 漫画家・つげ義春の有名な「ねじ式」など、夢を描いたといわれていますが。
〈濵田〉私も夢日記をつけているんですよ。昨年からつけ始めました。夢日記をつける以前でも覚えている夢もあるので、作品の題材となっている夢を見た年齢は様々です。
――夢日記をつけるようになってから、何か変化したことはありますか。
〈濵田〉文章にする事で記憶を辿れる夢が増えました。もちろん覚えている夢もありますが、大体は記憶から消えていくので。
――確かに起きてすぐに言語化することで、夢が定着しますね。その夢日記の内容を、どういうふうに実際の制作に取り込んでいるのでしょうか。
〈濵田〉和紙を漫画のコマの様にカットして、夢で見た場面を描いていき時間軸で並べて、紐で繋いで一つの作品にしています。
――画材に雲肌麻紙を使われているとのことですが、日本画で雲肌麻紙を使うのは、一般的なのでしょうか。
〈濵田〉雲肌麻紙や土佐麻紙の使用は一般的です。もう少し薄い和紙なら薄美濃紙など様々あります。また絹本の使用も一般的です。
――絵具は主に染料を使われるのでしょうか。
〈濵田〉矢車や西洋茜などの染料も使いますが、岩絵具や水干、アクリル、色鉛筆など様々な物で描いています。
――他の方の日本画とは違う材料を使っている、といったようなことはありますか。
〈濵田〉粘土や刺繍、ビーズなども制作に使います。支持体も雲肌麻紙だけでなく、飛沫シートやキャンバスなど様々です。最近は立体ペンにも手を出しています。
――立体ペンって、にゅるにゅるしたものが出て、立体的に描けるペンですね。従来の日本画の世界とは思えない自由さを感じます。
■ 敦煌の洞窟壁画を見に行きたい。
――ところで、日本画で尊敬する作家さんはいらっしゃいますか。
〈濵田〉最近は仏画を見る事が多いので特定の作家さんではないかもしれません。
――他の分野でも構いませんが、目標とされる方はいらっしゃいますか。もしいらっしゃるとすれば、それはどなたでしょうか。
〈濵田〉玉川大師の地下仏遍照金剛殿は憧れなので、目標でしょうか。
――奥の院の地下霊場ですね。大日如来の胎内を表しているとか。それを作品で表現するということですか。
〈濵田〉そうですね。そういった構造や考えを参考に作品作りを行いたいと思っています。将来的には没入型で参加者が作品内を進みながら五感で理解を深められる様な物を作れたらと考えております。また、地下霊場は参道100メートルなのですがその規模も憧れがあります。
――他の芸術分野でとくにお好きなものはありますか? 文学、映画、演劇、なんでも構いません。
〈濵田〉演劇はたまに観に行きます。ニューヨークで観たオフブロードウェイのスリープノーモアは印象に残っております。
――やはり空間に興味があるのですね。話は変わりますが、趣味はなんでしょう。
〈濵田〉インテリア雑貨を見る事です。
――将来やってみたいことはどんなことでしょう。
〈濵田〉敦煌に行きたいです。敦煌の洞窟壁画を見に行きたいなと思っています。
――寺院、回廊、そして洞窟……。そういった視点で濵田さんの作品を眺めると、平面作品もそれぞれが繋がって見えてきますね。最後に365カフェで作品をご覧になった方へのメッセージをお願いします。
〈濵田〉作品をご高覧頂きありがとうございます。大人になると忙しい日々の中で今朝見た夢を振り返る事、語り合う事は余り無いかもしれません。昨年からつけている夢日記を振り返ると、意外にも自分はいつか地震が来る事を意識しながら生きているのだなと考えさせられます。私の夢日記の作品をきっかけに最近見た夢について考えるきっかけ、またご自身の無意識の部分と向き合う時間になれば幸いです。
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