上野愛子&加賀谷潤 虹彩のくらし
2025年9月20日~11月10日

第38回 365cafe 作品展「虹彩のくらし」

【上野愛子 ai.u.ra.ra】

マルチアーティスト。横浜生まれ。自分を愛するということを、生活内に使うものの選択や精神的な思いに浸透させてゆくことが心身ともに元気に生きるために大切だという観点から、経験して得た知恵をどうやって人に伝えるかを模索。その一環として着物をその人に合うデザインに立体裁断してオーダーメイド制作を行う。

インスタ

ボタニカル(衣)

Brownバブーシュカ

【加賀谷潤】

画家。横浜生まれ。文化学院美術科卒業後はイラストレーターとしても活躍。画面からエネルギーがはみ出すくらいの自由奔放な力強い作風で知られる。現在は絵画を中心に制作発表するかたわら、ぬいぐるみの制作、陶芸も行う。

インスタ

ドラゴン(絵)

ドラゴン(皿)

【見どころ】
この世の中、いいことも悪いこともすべて人との関係性によって成り立っています。新たな出会いによって、作風が大きく変わったり、さらに別の次元に進化したり。今回ご紹介する上野愛子さんと加賀谷潤さんも、出会いによって新しいビジョンが誕生したといいます。タイトルの「虹彩のくらし」というのは、絵画、彫刻、陶芸、ファッションすべてを含む、日々の暮らしを輝かせるもの、という意味が込められているのです。今回のユニットに至るまでの、まずはお二人のバックグラウンドから伺いたいと思います。

インタビュアー 株式会社サンポスト 前田 敏之)

14歳でクラブデビュー。夜遊びしてから中・高に通う。(上野)

――お二人のお生まれはどちらですか。
〈上野〉横浜市青葉区です。
〈加賀谷〉あ、私も横浜。10歳まで栄区の公団住宅に住んでいました。その後、両親が鎌倉に家を建てたので、そちらに移りました。
〈上野〉私は程なくして横浜市瀬谷区に引っ越しまして、そこで育ちました。
――どんな子どもでしたか? アートとの出会いなどはいかがですか。
〈上野〉ダンスが好きでした。小学生の頃は、同級生5人でSpeedの振り付けを踊ったりしていました。
――活発な子だったんですね。
〈上野〉ちなみに長距離走は1年から6年までずっと1位でした。
――それはすごい! 運動選手への道は歩まなかったんですね。
〈上野〉祖母が台湾人なんですが、日本舞踊、茶道、三味線、華道に精通していて、教えたりもしていたので、4歳くらいから着物を着てお稽古に行くこともよくあり、着物や所作にまつわる様々なことを祖母から学びました。
――加賀谷さんはいかがですか。
〈加賀谷〉団地に住んでいるときに、集会所でいろいろな習いごとが催されていて、その中の絵画教室に5歳から通い始めました。いつもチラシの裏とかに絵を描いていて、絵を描くことが大好きでしたね。将来は絵描きさんになりたいと子どもの頃から思っていました。教師にも興味がありました。10歳のときに父のお古の油絵セットとイーゼルをもらい、水彩画の教室には行っていましたが、油絵は自己流で描いていました。
――画家になるという夢は、実現したわけですね。
〈加賀谷〉そうですね。あと、子どもの頃の夢は、おかあさんになることというのも、あって、そちらも実現しています。自分の台所が欲しいと思っていました(笑)。
――料理をするのが好きだったんですか。
〈加賀谷〉小学校低学年の時にジャム作りにハマって、そこからです。煮込み料理がすきです。あと、包丁を使うのが好きなんです。皮を剥くとか、ミジン切りするとか。
〈上野〉私も料理作るのが好きです。母が料理上手で、小さい頃は料理やデザート作りまでよく一緒にやっていたので、得意になりました。ただ、母はヒステリックなところがあって、そこから逃げるように何度か家出をしたことがあります。
――それは辛いですね。
〈上野〉家にいたくなくて、14歳からクラブデビューして夜遊びをしながら中学・高校に通いました。
――中学・高校はどちらですか。
〈上野〉私立の戸板女子中学高等学校です。当時住んでいた家からだと、往復3時間かかりました。社交的な性格が功を奏したのか、15歳でバックダンサーの仕事を始めました。
〈加賀谷〉私は公立の小・中を経て茅ヶ崎高校へ。高校2年から美大受験のための予備校にも通いました。
〈上野〉15歳の夏休みにはニューオリンズとマイアミで、チンギーというラッパーのツアーダンサーも経験しました。高校3年間の夏休みには、ニューヨークのブロードウェイ・ダンスセンターに2週間のダンス留学にも参加しました。

3度の結婚で人生充実。自由奔放に生きる。(加賀谷)

――高校の後は大学へ?
〈上野〉いえ、大学には行かずに17歳の頃からやっていたイベントオーガナイザーの延長で、ダンサーDVDのキャスティングの仕事をしていたところ、映画「バベル」のロケハン隊が日本に来て、クラブシーンのキャスティングをすることになり、それがきっかけで、22歳まで葵プロモーションや日活で、アシスタントをしていました。
――具体的にはどんなことをされていたんですか。
〈上野〉役者さんの朝イチのお迎えから、撮影が終わってのお見送りまで。準備からクランクアップまでやりました。
――めちゃくちゃ大変そうですね!
〈上野〉みなさんそれぞれにプロフェッショナルなお仕事をされる中で能力を発揮し、信頼し合い、ひとつの映画を完成させるという、家族のようなチームワークや暖かさもあり、でもとても厳しくハードでしたが、あの時のプロフェッショナルな空気感というものが、今までの私がどうありたいのかという理想の傍にあってくれたように思い、その体験をさせていただいたこととご縁に感謝しかありません。
――加賀谷さんはいかがですか?
〈加賀谷〉実は美大受験に失敗しまして、浪人して予備校に通いましたが2ヵ月で退学になり……。
――いったい何があったんですか。
〈加賀谷〉まだ4月だったでしょうか? 1日だけ、無断欠席して、映画を観にいきました。次の日に登校したら、画塾の入り口の扉に、下のもの退学を命ずると書いてあり、私の名前がありました。で、翌年、文化学院の美術科に入りました。在学中から美術モデルの仕事をしていましたが、27歳で結婚したのを機に止めました。以降は絵画を中心に制作をしています。
――その後、出産され、念願のおかあさんになったわけですね。
〈加賀谷〉はい。制作と育児を両立するにあたって、絵画というよりイラストレーションの仕事を多くやっていました。
――順風満帆の人生……?
〈加賀谷〉それが……。30歳で離婚してシングルマザーになりました。34歳のときに娘を連れて滋賀県大津市に移住して、37歳で再婚。この頃から絵画のほかにぬいぐるみなども制作するようになりました。
――それからずっと滋賀ですか?
〈加賀谷〉10年間滋賀にいたのですが、47歳で離婚しまして、大学に進学した娘を置いて、ひとり神奈川県逗子市の実家に戻りました。それから57歳になった昨年、再々婚しまして……。
――結婚しようかどうしようか迷っている人って多いと思うんですが、そんなこと考えずに、加賀谷さんのように突き進めって言いたいですね(笑)。上野さんはいかがですか。
〈上野〉22歳のときに、父が望む娘に一度はなろうと、看護師の短大に入学しました。
――芸能関係のキャスティングから看護師! またずいぶん思い切った転換ですね。
〈上野〉ただ持病が再発して、正看護師国家試験に合格して昭和大学循環器科に入職するも、薬の副作用もあって、本来の自分らしさが欠如して、鬱になってしまいました。薬を飲み続けるのはよくないと、断薬を決意して古代インドを発祥とする予防医学、アーユルヴェーダや心理学、元極学氣功、分子栄養学などを学び、完治させました。
――それはすごい! お二人ともいろいろあっていまがあるわけですね。
〈上野〉そのときの学びから、自分を愛することと、生活で使うものの選択や、精神的な思いに浸透させてゆくことが、心身が元気になるために必要なんだとわかりました。いまはその経験をどうやって人に伝えていくか模索しています。
――看護師の仕事はそれ以降も続けていらっしゃったんですか。
〈上野〉結婚に至る出会いを機に辞めました。そして元夫との結婚、妊娠、出産を経験する中で、「おんぶが大事」ということに気づいたんです。
――赤ちゃんのおんぶですか?
〈上野〉仲のよい友達が「おんぶりん」というおんぶ紐を貸してくれて、それがとてもよかったので、オーガニックコットンを使い、配色にもこだわった「ファッションおんぶ紐Bonds」を作りました。試着会をしながら使い方を教えたりして、横浜開港祭でブースの出展や赤ちゃん休憩室のプロデュースもしたのですが、経営やマネジメントは不向きのようです(笑)。でもそのときの経験が元になって、着物を解いて服を作ろうと考えました。いまは、すべての女性が美しく存在していてほしい、そんな思いで衣を縫製しています。

「虹彩のくらし」とは、共に生きる平和へのメッセージ。

――上野さんと加賀谷さんの出会いについて教えてください。
〈上野〉今回、モデルを務めてくださった奥村有子さんのコミュニティで初めて会いました。
――それはどんなコミュニティなのでしょう。
〈加賀谷〉ひと昔前のヒッピーの感じと言いますか、ナチュラリストが多い地区でした。TVを見ない、TVを持っていないという住人もその地区には、多かったです。
――具体的にはどのように制作しているのでしょう。
〈加賀谷〉単品での油絵などはひとりで制作しますが、服や帽子については、テーマを二人で決めてラフを描いて、その後で上野さんがデサインして、またラフを私が起こすといった感じです。編み物は、だいたいのデザインはありますが、ほぼ上野さんのアドリブです。
――今回の展示のタイトルである「虹彩のくらし」について伺います。これは作品を通じて生活に彩りをもたらす、ということでしょうか。
〈上野〉アートというのは生活に関係ないと思われがちですが、実は人間が想像して作ったものはすべてアートだと思うんです。絵や彫刻は生活用品ではないですが、その人の暮らしを豊かにするものなので、もっと身近に感じてもらえたらいいなと思います。皿や洋服などはモノトーンやシンプルなものが好まれるようになってきていると感じますが、もっともっと彩りを感じるものでもいいのではないでしょうか。色はその人の気持ちやエネルギーになるパワーを持っています。私たちは、その彩りとアートの力を借りて、人々の生活の中にあるものが、心を浮き立たせるものになったらいいなと思います。
〈加賀谷〉私たちが生み出す作品の虹彩というのは、この地球上にいるどんな人も、国籍や宗教や肌の色や家柄に関係なく、互いのよさを愛し、共に生きてゆくという平和のメッセージを込めて「虹彩のくらし」というくくりで表現しています。今回は上野さんの別荘で3回にわたり、8週間の合宿をしました。
――合宿って、クラブ活動みたいで楽しそう! 別荘はどちらにあるのですか。
〈上野〉伊豆高原の一碧湖にあるイトーピアの別荘地です。庭にレモン、みかん、ゆず、桜、梅などたくさんの木々が植わっていて、無農薬で野菜も育てています。
――爽やかな風を感じます。ところで、旅行などはよくされますか? これまでどこがよかったでしょうか。
〈加賀谷〉はい。沖縄とかスペインのマジョルカ島が印象深かったです。
〈上野〉コロナ以降は行けていませんが、それ以前は毎年どこかへ行っていましたね。バリの夕日が忘れられません。高千穂峡や上高地も好きです。
――旅行といえば、たとえば(私は)韓国料理を食べると韓国に行きたくなりますが、お好きな食べもの、嫌いな食べものはなんでしょう。
〈加賀谷〉お寿司が好きです。あとは白いご飯に合うおかず(笑)。以前、牡蠣と銀杏にあたったので、その二つが苦手です。
〈上野〉私は旬のものが好きですね。自然なもの、愛のこもったご飯……。適当に作られた愛を感じない食べものが嫌いです。添加物や加工食品など不自然なものも。草木染やニットの手編み、天然石など私が選ぶものは、手に取って肌触りがよかったり、気持ちよく美しいものだけです。作る服は、ケミカルな素材は一切使用せず、地球に還るもののみを使用しています。
――今後の活動について教えてください。
〈加賀谷〉自分自身の表現のツールとしてアートが存在しています。が、過去約50年絵を描いてきて、アートが先行してしまって自分という存在を置き去りにしていた気がするんです。最近はまず自分を大切にするということを心のど真ん中に置いて、関わる人々と感じた事と自分の感じた事をまぐわらせた表現をしたいなぁと思っています。
――具体的にはどんなことでしょう。
〈加賀谷〉ライブペインティングしたり、いろんな作家さんとコラボしたり、子どもたちと大きい絵を描いたりしたい。これからはもっと人と関わってハッピーでジョイフルな体験を増やしていきたいし、人々と交流し、真実の魂の声同士での共演創造を育んでいきたいと思っています。世界中でライブアートや展覧会などをやっていきたいですね。
――上野さんはいかがですか。
〈上野〉日本古来の着物文化やお蚕様が作るシルクの素晴らしさ、オーダーメイドをオーダーしてくださった人を通じて感じるメッセージをダウンロードした衣として纏っていただくことで、心身を癒し緩め解放した先にある、ありのままのどんな自分をも赦して愛し、周りを愛し、世界に優しく生きていくという『最先端な在り方と文化』の両方をもっと広めていきたいです。具体的には、着物の着付けと美しい所作などをお伝えするWorkshopや着物に関係する小物類の制作販売を行う予定です。日本にいる間は、養蚕場や生地工房・茶道や花道に日本舞踊など着物と日本の伝統への学びを探究し続け、海外ではガラス工房や陶芸窯などの工房を訪ね、いろんな技法を学びながら制作へ生かし、自分を愛するためだけに作られた一点もののオーダーメイドクリエイションを日本の着物から世界中へ届けていきたいです。
――着物をベースに世界へ、ですね。
〈上野〉ガウディの古い建築物やお城の中でファッションショーをやるのが夢です。特別にモデルさんを使うのではなく、地球で生きる80億人の様々なオーダーメイドの衣を制作させていただき、生産やビジネスの観点ではなく、宗教観や血の違いを超えて、多様性ある全ての存在を赦し、みんなで遊ぶようなランウェイをクリエイションしていくのが夢です。そんな活動をする中、たまに加賀谷さんともコラボできたらと思います。

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