サトウテン 作品展 
空とセレンディピティ 
2022.2.3[木]-2022.3.15[火]開催

【第7回】サトウテンさん

【略歴】
宮城県出身。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。コンセプトデザイナー、イラストレーター。ゲームやアニメのコンセプトデザイナーの傍ら、“かわいいけどちょっとこわい”異世界をテーマに、ペン画の原画作品の展示販売やオーダーメイド額装原画制作、オリジナル雑貨の制作やLINEスタンプ制作などを行っている。

【主な作品展】
<2021年>
■三越伊勢丹オンライン(Spirit・Gate・Building)
■GIANTMANGO SELECTION vol.7(台北)
■C/Store(岡山)
<2020年>
■GIANTMANGO SELECTION vol.6(台北)
■三越伊勢丹オンライン(Cube)
■C/Store(岡山・宮城)
■Arte Varie 59(大阪)
<2019年>
■C97(東京)
■三越伊勢丹オンライン(木製原画)
■C/Store(東京・鹿児島・大阪・宮城)
■GIANTMANGO SELECTION vol.5(台北)
<2018年>
■C95(東京)
■デザインフェスタ Vol.48(東京)
■アートの畑@ISETAN(東京)
■Art Formosa in Taiwan(台北)
■個展「3to展 updraft」(東京)

大禍時の夢魔おろし

Cube/Floating monster's apartment

この国の猫には気をつけろ

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「まさに精緻。極細の線の集合体に圧倒的な迫力と優雅さが同居している作品が見る者の心を虜にする。その世界に入り込んだらもう抜け出せない……」。サトウテンさんの著作に『BLUEHALL 夜明けのまちを歩く』があるのですが、創造された都市の迷宮から抜け出せなくなった人は、いったい何人いるのでしょうか。かく言う私もそんなひとり。余談ですが、昔旅したヘルシンキの旧市街を思い浮かべ、懐かしさに心躍らせてのインタビューとなりました。今回はサトウテンさんの魅力全開の展覧会。インタビューと併せ、ぜひお愉しみください。

インタビュアー 株式会社サンポスト 前田 敏之)

■身の回りにある小さな幸せに気づいて。

――今回の作品展のタイトルは「空とセレンディピティ」。セレンディピティ(serendipity)は、一般的にはあまり馴染のない言葉ではないかと思います。辞書で引くと「素敵な偶然に出会ったり、思わぬものを発見すること」と出てきます。いつ、どのようにしてこの言葉と出会ったのでしょうか。
〈サトウテン、以下:サトウ〉 もともと記事か何かを読んで知っていた言葉だったのですがすっかり忘れていたんです。それが突然ふわっと頭の中に浮かんできて、一日経っても頭から離れず(あれ、セレンディピティって何だっけ?)と。その時はどんな意味だったかもすっかり忘れていたんですね。実は、2019年はかなり無茶な仕事を1年近く続けていました。一日の睡眠が3時間くらいで、なんだか命を無理やり削っているような危険な疲労感も常にありました。そんな中で、楽しいはずのコンセプトデザインの仕事をさせていただいているのに、幸せじゃないのはおかしい、人生は有限なのに毎日が幸せじゃないのはもったいないのではないか、もう少し毎日を幸せにできる方法はないか? とふと思いました。
――睡眠3時間とは、ナポレオンと同じですね(笑)。
〈サトウ〉 そうだったんですね! 同じ人間であることが信じられないです(笑)。そこで「2020年は思い切って休もう!」と決め、無茶な仕事を終えた2020年3月から1年間、仕事をほぼ取らずに細々と食い繋ぎながら、一日中本を読んだり、掃除をしたり、瞑想をしてみたり、科学的に実証されている多幸感が上がることを色々と実践していきました。
その時に、何年も前から応援している心理セラピストさんが「良かったこと探しをしてみてください」とラジオ配信でおっしゃっていたのを聴きました。たとえば「今日はたくさん寝た! えらい!」「ご飯が美味しかった! 幸せ!」「良い天気の中散歩して気持ちよかった!」この程度です。決して派手な幸せでなくてもよい、どんなに些細なことでもよいので、一日の中で得た「良かったこと」をいくつか発見してメモしてみたんです。
より高みを目指して足掻いていると、自分自身に落胆することが非常に多かったのですが、良かったこと探しを続けていたら、自分がすでに持っている小さな幸せが割とあることに気付づき、それを集めると今日もそれなりに幸せだったのでは、と感じるようになりました。
振り返ると、仕事があった2019年よりも、お金のなかった2020年の方が、多幸感が高かったんです。自分の考え一つで幸せの価値観は変わるんだなと、すとんと腑に落ちた感じがしました。
――確かに価値観の違いで物事は180度変わりますね。
〈サトウ〉 セレンディピティという言葉が突然頭から離れなくなったのは、まさにその直後でした。タイミングが良すぎたこともあって、セレンディピティの意味とされている「予想外の発見」、「探していたものとは別のもの」、それは私の場合「身の回りにある小さな幸せに気づいた」ことだったのではと、自分自身で考察しました。
それ以来、今の生活を崩さない程良い仕事だけを取るように心がけることにしました。この気づきを一生忘れないために、「セレンディピティ」という言葉と、それでもまだまだ夢を追い続けたい気持ちを「空」と表現し、空ばかり見ていないで足元や地面もしっかり見ながら両方大切にするという意味で、二つの言葉を並列させました。
近い意味で「灯台下暗し!」でもよかったのですが(笑)、「空とセレンディピティ」は物語のタイトルのような雰囲気、なんとなく可愛らしい響きも感じ、個人的には気に入っています。
――「灯台下暗し!」だと雰囲気がぜんぜん違いますね(笑)。話がいきなり深いところに降りて来てしまいました。それでは少し外堀から攻めていきたいと思います。絵は子どもの頃から描かれていたのでしょうか。
〈サトウ〉 子どもの頃からとにかく絵が好きで、家で飼っている猫を主人公にした絵本をスケッチブックに何冊も描いていました。あとは、ロールプレイングゲームに没頭したり、ドールハウスサイズのおもちゃで遊んだり、秘密基地になりそうな場所を探しに行ったりしていました。
――単に写実的な絵画ではなく、物語の絵がお好きだったのですね。
〈サトウ〉 はい。絵を描いていた頃の一番古い記憶は2歳ですが、もう自由奔放に描いていました(笑)。チラシの裏が無地だと宝物を見つけたような気持ちになりました。母も絵を描くことが好きなので、当たり前のよう絵を描いていましたね。母は日本画で、河北展(河北美術展)に出品したりしていました。チラシの裏や新聞の隅に、長電話の副産物である母の落描きを見つけることも多かったです(笑)。勉強以上に絵を描くのが好きなことは両親もすでに分かっていたようで、美術系の大学に行きたいと相談した時もすんなり打ち明けることができました。ただ、美大は就職難であるというイメージがまだ強かったので、教員免許を取るという条件で、美大受験を応援してくれました。
――武蔵野美大の視覚伝達デザイン科を選ばれたのはなぜでしょう。
〈サトウ〉当時、地元の仙台には美大系の予備校が2校あったのですが、最初に広告を見つけた方に通い始めました。その予備校が一番得意としていた学科がデザイン学科系でしたので、自然とそんな流れになりました。恥ずかしいことに、最初は美大に行きたいと漠然的に思っていただけで、デザインとファインアートの違いも分からなかったんですよね。塾長と話し合って、私は視覚伝達デザイン学科の受験が向いているのでは、という流れになりました。とりあえず美大に入ってしまって、勉強しながら考えるというスタンスでした。

■架空の島国「ブルーホール」の続きが知りたい!

――極細のペンを使った精緻な作風は、いつごろからですか?
〈サトウ〉 ペン画を始めたのは大学1年のときに先輩と芸術祭に展示する作品を制作したのが最初です。今でも創作のライフワークにしている架空の島国「ブルーホール」とその住人達を初めて描いたのがまさにその展示でした。ブルーホールの夜明けのまちの住人であるうさぎが、出張で出店しに来ましたというコンセプトを作り、その店頭の様子をイラストやディスプレイ、張りぼてなどで再現しました(下画像参照)。

――すごく楽しそうです!
〈サトウ〉 空間づくりはすごく楽しかったです!当時はその世界観が続くかどうかは、まったく考えていなくて、その場限りの展示用に世界観を作ってみた、という軽い気持ちでした。夜明けのまちの風景の絵を1枚描いたのですが、後にその絵を見た母から「このまちの続きはどうなっているの?」の一言がきっかけで、まちが広がり始めました。
――都市を歩いてさまざまな物や人で出会う『BLUEHALL 夜明けのまちを歩く』に繋がっているのですね。
〈サトウ〉 この本は大学の卒業制作です。
――傑作という言葉を通り越して、すごい! です。
〈サトウ〉 ありがとうございます。「想像力の限界に挑戦しました」と教授に言って提出しました(笑)。
――確かに想像力・創造力に圧倒されます。どこからどう作画を始められたのでしょう。制作期間はどれくらいですか?
〈サトウ〉 まさに「このまちの続きはどうなっているの?」の母の一言がなければ、ここまで広がりませんでした。最初の1枚を描いた後、その絵につながるようなかたちで、続きの絵を3枚描きました。最初の1枚の右、下、そして斜め右下に、合計4枚で1枚のイラストになりました。(下画像参照)。

特に最初の1枚は、今の自分が直視できないくらいの適当さや荒々しさだらけで、本当に恥ずかしいです(笑)。さらに世界の続きを作りたくなり、学生生活中に出展した5回の展示、3年で専攻したイラストレーションの授業やDTPデザインの授業で、半ば強引にブルーホールの世界を題材にするようになりました。講義を真面目に聴かずにこそこそ絵を描いていることも多かったです。そうして描き溜めたイラストを旅行記の挿絵に使い、4年生の後半で文章と追加の挿絵を描いたので、実質3年強くらいの制作期間でした。
――大学の授業でも都市を描くことはあったのですか?
〈サトウ〉 大学4年のときの授業でカルヴィーノの『見えない都市』をテーマにひとつ都市を選んで作品化するというのがありました。「では皆さんにはこんな課題を出します、せっかく絵が描けるんですから」といった感じで、先生が課題の説明をされていたことを覚えています。提出はいつでもよいとのことで、早く提出した学生の作品を講義の最中に紹介するコーナもあり、それを見るのも楽しかったです。
――なんという科目の授業ですか?
〈サトウ〉 西洋建築史か、近代建築論か、文明論か……おそらく西洋建築史だったと思うのですが、その課題ばかり覚えていて、肝腎の科目名をすっかり失念してしまいました。“中世ヨーロッパの都市は教会とその広場を中心とした構造である”などの講義内容でした。A4サイズの絵であればなんでもOKだったと記憶しています。
私が選んだのは「オッタヴィア」という、吊るされた袋状の家に住人たちが暮らしているという都市でした。家具や日用品までも、何でもかんでも宙吊りにしている風変わりなまちです。色々と構図に迷いましたが、旅人が最初に目にするであろうまちの全景を目標に描いたつもりです(下画像参照)。

――この授業も卒業制作に結び付いたのですね。
〈サトウ〉 いえ、実はその頃はまったく結びつきがなく(笑)、大学時代、イラストでもデザインでもなく、ミュージシャンのPV制作に憧れて、映像制作を日々勉強しておりました。卒業制作は、映像技術とペン画を活かせるような、手描き短編アニメーションを作りたかったのですが、ちょうど作り始めた3年の冬頃に、とある漫画雑誌の小さな賞に入賞して担当編集者さんがついてくれまして、絵を何千枚も何万枚も用意しなければならないアニメーションを作っている場合ではなくなってしまいました。
もともと大学1年の頃の展示で生まれた、ブルーホールを舞台にしたアニメーションを作る予定でしたので、世界観はそのままで、動画から静止画へ、ストーリーではなく旅行記のようなものにまとめてはどうだろうかと考え、当時すでに好きだった手稿のようなものにしようと決めました。
――漫画の賞に入賞。それもすごいと思います。多元宇宙があるとすれば、そっちには漫画家サトウテンも存在しているわけですね。それも見てみたいです。他の漫画家さんではどなたがお好きですか。
〈サトウ〉 熊倉裕一さんの『KING OF BANDIT JING』のアメコミのようなスタイリッシュな線と、不可思議な世界観に惚れ込みました。線と世界観設定は今でも目標にしています。漫画家を志していた時に、担当編集者さんと意気投合するきっかけにもなった作品でした。
――映画などもよくご覧になりますか。印象に残っている映画、お薦め映画があれば教えてください。
〈サトウ〉『ダークシティ』を10代で観て驚きました。実は普段SFはあまり観ないのですが、父と一緒に自宅で観て、忘れられなくなった映画です。SFスリラーというジャンルですが、ミステリー要素が強めだと感じます。
あまり言ってしまうとネタバレになってしまうのですが、暗めのオールドアメリカンな都市の喧騒、静かな深夜のダイナーや路地、アパート、記憶喪失の主人公、黒帽子の怪しい異邦人達から始まり、ストーリーが進むにつれて段々とスチームパンクやSF的な要素が増えていき、この都市の違和感に住人達が気づいていきます。世界観もストーリーも本当に魅力的な作品だと思います。こんな世界やまちを描いてみたいとも思いました。『KING OF BANDIT JING』同様、今でも私の目標です。

■座右の名著は『すぐそこの遠い場所』

――漫画で受賞したお話が出ましたが、漫画だけで生きていこうとは思わなかったのですか。
〈サトウ〉 実はゲームが大好きなんです(笑)。そもそも都市などの世界観を設定するのが好きになった原点はゲームでした。小学生の頃にロールプレイングゲームにはまり、異世界、ファンタジーという世界の中で冒険できる楽しさを知りました。本は静止画のみだったり、自分の想像力頼みなところもあり、映画も受動的ですが、ゲームは世界を実際に歩くことができ、自分で行動を起こしながら、時には強敵に苦戦しながらストーリーを進められるので、凄まじい感情移入と没入感が得られました。
ゲームの中の世界が色々と図解されている設定資料集も大好きでした。自分もこんな世界が作れたらいいなと、当時描いていた飼い猫の物語にも設定資料集のような要素を入れてみたり、主人公を異世界に飛ばしてしまった漫画を描いてみたり。ストーリーよりも地図や村、モンスターの設定を考えてみたりして楽しく遊んでいました。
それで、中学の頃からずっと憧れていた「スクウェア・エニックス」というゲーム会社にそのまま就職しました。当時は新卒採用がなかったので、落ちたらバイトしながら漫画を投稿し続けようと呑気に考えていましたが、運よく新部署にお声をかけていただきました。
――会社ではどんなことをされていたのですか。
〈サトウ〉 会社の中では特に有名なタイトルに関わることはなかったのですが、小さなゲームの新規立ち上げに必要なデザイン全般なら、なんとか一通りできるようになりました。今でも小規模ゲームやアニメなどのコンセプトデザイナーとしてフリーランスで働くことができているので、本当にありがたい限りです。
――ゲームが能動的な世界だとすると、本は逆に静的な世界。お好きな本はありますか。
〈サトウ〉 クラフト・エヴィング商會さんの『すぐそこの遠い場所』が大好きです。
――どういう経緯で手にされたのでしょうか。本屋さんで偶然見かけて? それとも知り合いに勧められて?
〈サトウ〉 大学2年の時に「レシピ」という課題がありました。自分の好きな「食」に関すること(食材や料理、食育、食文化、食の問題などなど)を選んで、自由な媒体で作品をまとめてプレゼンするという内容でした。同級生の中に「冬眠図書館」という名前の図書館で出すシチュー、という、なんとも幻想的でミステリアスなお題を選んだ子がいました。後から聞いたところ、クラフト・エヴィング商會さんの著書『じつは、わたくしこういうものです』に出てくる架空のシチューだと教えてくれました。すぐに書店でクラフト・エヴィング商會さんの本を探しました。当時『じつは、わたくしこういうものです』も店頭に並んでいたのですが、それ以上に私がすっかり気に入ってしまった、私のすべての「好き!」が溢れていた本が『すぐそこの遠い場所』でした。その友人は、今ではステンドグラスで素敵なランプを手がけるステンドグラス作家さんになっており、今でもファンです。他にはレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿や「ケルズの書」なども好きです。
――ダ・ヴィンチの線画も圧倒的な迫力ですね。
〈サトウ〉 出会ったのは、大学在学中の、漫画家を目指していた頃でした。漫画の主人公が小さな手帳を持ち歩いているという設定にしていたので、その手帳のヒントになるようなものを日々探していました。
ちょうどそのタイミングで、大学所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿のレプリカを一度だけ見せていただくという機会に恵まれました。彼の手稿の凄さ、偉大さはその時に知りました。いつもより高揚している私に教授が気づき「おい、佐藤、今日はどうした?」と笑っていたことを覚えています(笑)。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿をきっかけに、世界に存在している数々の手稿の存在に気づき、手稿そのものの魅力にはまっていったようです。ケルズの書も、手稿から写本の存在を知った頃に魅了され、調べ始めました。
もともとケルトという言葉は、ケルト音楽を介してかなり前に知っていたのですが、その後に、ゲームに登場していたモンスターや召喚獣の名前が神話にルーツがあるものが多いと知り、さらに北欧神話や妖精伝説を知ることになりました。そういった意味では、数珠繋ぎに興味があることを広げていった感じでしょうか。
――線の中にこれらすべての要素が入って出来ている、それが深遠さに繋がっているのだと思います。絵画の作家ではどなたがお好きですか。
〈サトウ〉 ミュシャです。足の小指が骨折していても展覧会に足を運ぶ程でした(笑)。ミュシャの作品はケルズの書にも影響を受けたということも好きな理由の一つかと思いますが、中でもデザイナーとして彼が制作したポスターや看板などの、アーティスティックでかつ美しくレイアウトもされているミュシャの作品が好きです。
絵画のみというよりは、デザイン性をも兼ね備えているものや、アール・ヌーボーに限定せずとも、曲線と直線が程良く存在しているものが好きなようで、ちょうどアール・ヌーボーとアール・デコの中間あたりが一番好きかもしれません。そう考えるとケルズの書の曲線と直線を使用した紋様にも、どこか近しいものを感じました。
――伺っていると、ゲームなどの最先端からダ・ヴィンチなどの古典まで、かなり幅広く興味を持たれているようですね。
〈サトウ〉 はい。余談になりますが、今現在、実話怪談をよく聴きながら仕事をしているのですが、実話怪談をより深く考察するためには、民俗学、文化人類学、心理学、物理学、量子力学、日本史、古代文明、統計学、宗教学などを学ぶ必要があるなと頭を抱えています。こちらも数珠繋ぎですね(笑)。

■時間があったら冬のニセコに篭りたい!

――民俗学から量子力学まで……考えていると、頭がパンクしそうです(笑)。がらりと質問を変えますね。ちょっと気楽な質問で箸休めといきます。ペンはどんなものを使用されているのでしょう。
〈サトウ〉 PILOTのHI-TEC-Cを使っています。とある漫画家さんがPILOTのHI-TEC-Cのみで作画するという噂を聞きつけ、つけペンをうまく使いこなせなかった自分は「つけペンじゃなくてもいいんだ!」と嬉しくなったことを覚えています。
――いつも使われているのは何㎜の太さのペンですか?
〈サトウ〉 微妙な作風の違いと、作品のサイズによって、0.25、0.3、0.4、0.5mmを使い分けています。人間の姿をした緻密なキャラのイラストでしたら、顔まわりが0.25mmで、その他の箇所には0.3mmを使用することが多いです。線が太く、かつ少ないコミカルな作風のものは0.5mmを使用します。
――いきなりですが、好きな食べものはなんでしょう。
〈サトウ〉 昔から好きなのは麺類、特にうどんです(笑)。うどん好きを知った友人が、誕生日に乾麺のうどんセットをプレゼントしてくれたことがありましたが「誕生日プレゼントにうどんもらった~!」と周囲に叫んで大喜びし、それ以来、私がうどんを食べていると「どん子」と呼ばれることに(笑)。蟹は剥くのもの食べるのも大好きなので、蟹を剥くのが面倒な友人にはありがたがられるような存在です(笑)。
――趣味はいかがでしょう?
〈サトウ〉 第一の趣味は、実益同様に絵とデザインなんです。仕事としての絵やデザインはしっかりと気合いが入るので、120%の力を発揮できることが多いと感じています。しかし、趣味で制作する絵やデザインは息抜きができるようにちょっと妥協してみたり、また、仕事中に浮かんだ「こんなの描いてみたい」という願望を実現したり実験したりするような形で、自由に楽しく描いています。
第二の趣味は、スノーボード(バックカントリー含む)です。育児中は年に1回行けるか行けないかの状況ですが、以前は、ハイシーズン中はほぼ毎週雪山に滑りに行っており、お金が旅費ですっかり無くなりました。
第三の趣味は喫茶店巡り、そして最近浮上した第四の趣味は読書です。今までさぼってきた分まで時間を見つけて読んでいきたいです。
――今、もし自由にしていい時間があったら、何をしますか?
〈サトウ〉 ブルーホールの次のまちの旅行記を完成させ、趣味で描いている漫画を描き進めたいです。お金があったら1ヵ月くらい冬のニセコに篭って、日中に少し雪山で滑って、あとの時間は旅行記の制作、そして読書の時間、といった感じで合宿できたら本当に最高ですね。これからの人生で一度やってみたいので、育児が終わったら計画を立てようと思っています(笑)。
――雪が好きなのですね! 今はまだコロナ禍でなかなか旅行にも行けないですが、ニセコと言わず、ぜひ冬のノルウェーやフィンランド、ラップランドなどに行って旧市街を見学したり、雪の中でトナカイと戯れてください(笑)。
〈サトウ〉 北欧への海外旅行は、今の私にとってまだ遠い目標の一つですが、いつか絶対に旅行に行きます! ブルーホールの世界を広げるライフワークも、海外の街に憧れ続ける想いが原動力になっているのかもしれません。
――それでは、最後に作品展をご覧になった方へ、メッセージをお願いします。
〈サトウ〉 まずは、貴重なお時間を使いここまで読んでいただきましてありがとうございました。私の作風や世界観を面白いと思ってくださった皆様、そして私のことをずっと応援してくださる皆様、作品をお迎えくださった皆様、本当にありがとうございます。大変励みになり、創作のパワーをいただいています。
そんな皆様に、もっと日々のわくわくをお届けできるように、創作で一番大事にしている「続けること」を常に心がけ、展示作品においては「お部屋に飾れるような、アートとサブカルの中間のような作品」、「かわいいけどちょっとこわい」を追求し、これからも様々なかたちで作品作りをしていきます。
そして、皆様の日常の中にもどうか良い気づきがあり、今より少しでも楽しく、より幸せを感じながら日々を過ごすことができますように!

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企画:編集プロダクション 株式会社サンポスト